『リリカルスクールの未知との遭遇』公開に寄せて
HIPHOPアイドルユニット「リリカルスクール」の主演映画『リリカルスクールの未知との遭遇』が本日公開される。
僕はDIT(デジタル・イメージング・テクニシャン)としてクレジットされているが、実際の現場では車輌部もやったしカラーグレーディングのお手伝いもしたしCG処理も応援したし、グラフィック処理も一部担当した。僕のいままでの拙い映画人生のキャリアのなかで一、二を争うエンターテインメント映画に仕上がっている。まさに「なんでもありのウルトラハッピーパーティームービー」だ。
『リリカルスクールの未知との遭遇』に寄せられたコメントを引用する。(公式サイトより)
な、な、なぜだ!?
75分間ず~~っとニヤけっぱなしでした!(シラフで!)
荒川良々(俳優)
デモ田中「リリカルスクールの未知との遭遇」。デモ田中監督のドラッギーなワールド全開ですごく楽しい作品だった!リリカルスクールファンに向けられた映画かもしれない、デモ、デモ!デモ!!デモ田中ワールドも是非体験して欲しい!最後に自然と涙が出たよ!お疲れ様でした!
西村喜廣(映画監督)
つっこみどころ満載だけど、ラストの彼女たちの本領発揮は圧巻!
山本英夫(漫画家)
デモ田中監督『リリカルスクールの未知との遭遇』、びっくりポンな怪・・・いや傑作ドラッグムービーだった!面白い!
佐藤佐吉(映画監督)
最高にフレッシュでした。長さもちょうどいい感じですね。音も効果音もアニメーションSFXもかっちょよかったです。リリカルスクールの皆さんはもちろん、出演者の皆さん全員がなんだか爽やかに見えてくるのもワクワク素敵な青春感覚と爽快感でした。ピース、ユニティ、ラヴ、ハヴィング・ファン、アンド・宇宙のファンタジー!
COMPUMADJ / アーティスト
もしこの映画を見るまで、彼女達の存在を知らなかった方には、映画終盤に登場するライヴ・シーンをしっかりと目に焼き付けて欲しい。そこでは映画という虚構の中に、彼女達の生き様や実存が、しっかりと輝きを放っている。そして現実の彼女達のライヴにも足を運んで欲しい。“プチャヘンザ!”で歌われる通り、我々とリリスクは、「出会った時からダンスをする運命」なのだから。
高木“JET”晋一郎ライター/男の墓場プロ所属
潤沢な予算や知名度に頼らない。こうした映画こそリアルタイムで、劇場で観ることに大きな意味がある。
田野辺尚人(別冊映画秘宝編集長)
自分がちょっとでも関わった映画に著名な方々がコメントしてくれているのは嬉しいものですね。映画の公式サイトにはもっと多彩な方々のコメントが載っていますのでご参照ください。
映画「リリカルスクールの未知との遭遇」オフィシャルサイト「コメント」
昨年、僕がクランクアップした際に書いたエントリーがこちらである。
「映画の宗教性」について感傷的に書いてある。「未知との遭遇」とは「聖なるもの」との遭遇である。つまり「未知」≒「神」≒「宗教」≒「音楽とドラッグと祝祭」・・・。こういったワードを並べていくと、映画『リリカルスクールの未知との遭遇』になるのだ。
「リリカルスクール」は2010年から活動しているHipHopアイドルユニットだ。デビュー時は「tengal6」という名前で活動していた地下アイドルであった(笑)僕の母校である武蔵野美術大学でPVを撮影していたり、予備校の後輩がメンバーにいたり、そもそもプロデューサーであるキムヤスヒロくんがムサビの映像学科の後輩であったので、噂は聞いていたし、仕事もちょいちょい手伝っていた仲だ。ブートロックの佐々木さんも馬車馬企画の仲間だ。センスのいいHipHop好きがアイドルとの融合を図り、シーンを引っ張っていっている。
しかし僕は正直、HipHopについて何も知らない。日本のHipHopレジェンドM.C. Boo(日本でいちばん早くBEASTIE BOYSを広めた。a.k.a.脱線3) さんが深く制作に関わっている(HipHopスーパバイザー兼共同脚本)というのに、HipHopについてのコミュニケーションをあまり図れなかった。HipHopについて深く考えたり見聞を広めることもできなかった。BIKKE(Tokyo No1 Soulset)さんやスチャダラパーANIさんといった大物アーティストたちと現場をご一緒させていただきながらも、HipHopについては「よそ者」なのである。
僕が好きなのは「映画」である。なので映画についてしか書けない。ここからは、「現代的なB級映画」とは如何なるものであるか?ということを書こうと思う。おそらくだが、HipHopの成立も「B級」というものに深く関わっている。HipHopは悪く言えば「盗作」の文化なのである。
音楽への愛だけはあるが、実力も金もセンスもない貧乏人が、既存のレコードをサンプリングして独自の音楽をつくった。他人のつくった音楽に、専門的な音楽知識もなく、音階もとれないアーティストが、自己の存在をひたすら言葉にする「ラップ」というある意味「楽ちん」な歌唱法で新しい音楽をつくった。
「A級」へのあこがれが「B級」なる音楽=HipHopを産んだのだ。もちろんいまではHipHopは世界中で莫大なセールスを上げる「A級」の音楽へと成長している。しかしその黎明期にはたしかに「B級」という辺境感が漂っていたはずなのだ。
結論を述べる。
B級映画のチープさを認めることこそが文化の豊かさを保証するのだ。
つまり、文化は模倣である。
東京オリンピックのロゴ問題で「パクり騒動」などと騒いでいる方々がいた。インターネット上には、ときどき漫画のトレース疑惑を告発したり、文章の剽窃を告発する文章が定期的に上がる。
人間がどのようにものを作ってきたかの歴史に想いを馳せる。表現はまず自然の模倣から始まる。欧州最古(≠世界最古)の絵画といわれるラスコーの洞窟画(15,000年前)は牛や馬や鹿など動物を描いていた。「そこにあるもの」を残すため絵を描いた旧石器時代のクロマニヨン人は自然や動物を「模倣」した。生命の儚さを表現したのか、動物学的な面白さが古代人たちの興味を引いたのか、理由はわからない。でも、表現は15,000年の風雪を耐えた。著作権などというものがない古代の、純粋な時代の話だ。
だが、アーティストという存在の「表現したい欲望」は、法や論理観を突き抜けて宇宙まで達する。せいぜい数百年の歴史しかない近代法など、おかまいなしだ。15,000年前から人類が築き上げてきた芸術への指向性、なにか美しいものへの探求、聖なるものへの接近・・・。「聖なるもの」がA級だとすると、自分の作るものは「B級」だ。だがそれでもいい。すこしでも「神(超越的なもの)」へ近づきたい。ヌミノーゼ(Numinöse)への志向。超越神が創りたもうた世界を模倣する喜び・・・。
だんだん話のスケールがデカくなってきたので本題に戻す。
『リリカルスクールの未知との遭遇』は難しいこと考えずに誰でも楽しめるSF青春アイドル音楽ムービーです。博多っ子であるデモ田中監督の感性が爆発した、ラーメンで言えば「全部のせ」のエンターテイメント作です。まさに「なんでもありのウルトラハッピームービー」であります。
低予算映画ならではの「粗」はありますが、その「粗けずりさ」が魅力でもあります。「B級」への志向は映画の経済性へのカウンターです。レンタルビデオ屋に埋もれたゴミクズのような映画のなかにお宝が眠っている感覚です。映画制作はとにかく金がかかります。SF映画ともなれば輪をかけてお金がかかります。しかし、長編映画デビュー作に潤沢な資金など集まりようもありません。しかし、お金がなくても情熱さえあれば面白いものを作れるんだ。トンチンカンでも愛情がこもっていればお客さんは楽しんでくれるはずだ。
本日、お客さんに楽しんでもらえるかどうかの、幕が開きます。ハッピーなバイブスが宇宙へ届くことを願って。
【劇場情報】
5/28(土)よりシネマート新宿
6/18(土)よりシネマート心斎橋
6/25(土)名古屋シネマスコーレ
以降全国順次公開
パーティ好きの連中がつくってますので劇場でのイベントも目白押しです。ぜひチェックしてみてください。
RUN and RUN / lyrical school 【MV for Smartphone】
人生に絶望したら『夜と霧』を読みなさい
〈わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉
ヴィクトール・E・フランクル
- 作者: ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2002/11/06
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アラン・レネが監督した32分のドキュメンタリーの『夜と霧』もある。フランクルと同じくアウシュビッツ強制収容所を題材にしている。衝撃的で絶望的な気分になる傑作だ。人類がどこまで愚かで残酷なものなのか、たった32分で体験できる。戦争を始めたい政治家、愛を忘れたハードワーカー、人生に絶望して自殺を考えた人、みんなこれを観ろ。もう一度言う。観ろ。骨と皮だけになった遺体が山をなす穴に、またつぎつぎと死体が投げ込まれる……。髪で作った服、人間の脂肪で作られた石鹸。命のたいせつさが実感できるだろう。さらに衝撃的なのは「トイレ」である!こればかりは言葉にできない。あまりに汚くて。言葉にならない。映像を観てください。きっと…言葉にできない……ラーラーラー ララ〜ラーララーララーラララーラー(小田和正)
戦後、フランクルは「人生はどんな状況でも意味がある」と説き、生きがいを見つけられずに悩む人たちにメッセージを発し続けました。彼が残した言葉は、先が見えない不安の中に生きる今の私たちにとって、良き指針となるはずです。
収容所という絶望的な環境の中で希望を失わなかった人たちの姿から、人間の“生きる意味”とは何なのかを探ります。そして苦境に陥った時の“希望”の持ち方について考えていきます。名著14 フランクル『夜と霧』:100分 de 名著
フランクルの思想はいまを生きる思想であり、アドラー(嫌われる勇気)とも 通づる、普遍的な「祈り」を感じさせる思想である。「それでも人生にイエス」と言うのは金持ちのボンクラ息子でも言える軽いことばです。しかしフランクルは強制収容所で妻も子供も殺され命からがら絶望のなか終戦を迎えたのです。そのうえで「それでも人生にイエス」と言うのです。人生に絶望したら『夜と霧』を読んでみてください。じつは、ユーモアたっぷりで読みやすい本です。読んでも絶望が晴れないなら精神科に行きましょう。精神科やメンタルクリニックに入る勇気や、医者への相談の仕方には僕なりの細かいテクニックがあるのでいずれ書きますね。薬もすぐ処方してくれるでしょう。しかし薬だけでなく、人間の心の支えには本も必要です。
とにかく死ぬな、生きろ、精一杯いまを生きろ。人間いつ死ぬか分からん。
絶望に効く薬?ONE ON ONE?セレクション(1) (小学館文庫)
- 作者: 山田玲司
- 出版社/メーカー: 小学館
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ナイフ初心者がオピネルのナイフを購入した
携帯用のナイフが欲しくなって、隊長に相談した。
隊長とは誰か。隊長の世を忍ぶ仮の姿はカメラマンであるが、本職は登山家である。嘘である。本職はカメラマン(撮影部)でぼくとは登山仲間である。昨年は一緒に富士登山をした。隊長は仕事で稼いだギャラをカッコいいアウトドアギアにつぎ込みまくる独身貴族である。羨ましい。G-SHOCKなんて30個持っているとか言っていた。趣味には金を惜しまない男はカッコいい、と思う。
山などのアウトドアでめしを食うのにどうしてもナイフは必要だ。インスタント品ばかりを食うわけにもいかない。生鮮食品はだいたいカットする必要がある。しかし少しでも荷物を軽くしたいアウトドアフィールドで、包丁を剥き身で持ち歩くわけにはいかない。なんせかさばるし。そこで隊長はオピネルというメーカーを薦めてくれた。コスパ重視ならオピネルであると。
(オピネル) OPINEL カーボン フォールディングナイフ #9
オピネル(OPINEL)はフランスのアウトドアナイフメーカー。
調理具屋でもあるらしいのでぼくのニーズにはぴったりだ。オピネルの9番は2000円前後でコスパも良いしよく切れるド定番なのだそうだ。AMAZONの最安値は¥1,987。おお、思っていたより安い。ナイフってなんとなく一万円超えそうなイメージだった。
どんなアウトドア用品店でも扱っているとのことだ。じゃあ行きつけの新宿のエルブレスで買おうと思っていたが、その前にモンベルストア新宿に寄った。モンベルストア渋谷には昨年クリスマスに行ってメリノウールを買った。その話はまた別の日に。ぼくの移動圏内だと新宿がありがたいので新宿モンベルストアも一度行ってみたかったのだ。登山リュックとかをなんとなく見てまわっていたら、ナイフコーナーが。そしたらモンベルストアでもオピネルを取り扱っていた。
持たせてもらったら、9番が手になじんだ。購入。少しでも安いのがよかったのでカーボンを買ったのだが、隊長いわく
オピネルはカーボンとステンレスがあってカーボンは安いけど錆びやすい。メンテしないのならちょっと高いけどステンレスをすすめる。隊長のはカーボンなので少し錆びてる。
ま、ぼくはナイフ初心者なので最安値のカーボンでいいです。未体験のものは最安値から入るに限る。
ベーコン切ってみたけどほんとによく切れる。
チキンも切り刻めた。
これでアウトドアでいろんな肉やら野菜やらを切り刻んじゃうぞ。
これはよい買い物をした。
AMAZONのレビューを読むとブレードを出すのが硬い、とのことだったがそんなことはなく非常にスムースに刃の出し入れができた。
ただし、刃渡りが8センチを越えているので街中での銃刀法違反と職質には注意が必要のようだ。
これはちょっとだけ高いステンレススチールモデル。
よし、これで肉切って焼いちゃうぞ。うへへ。
初登りは文珠山(365m)
登山が趣味である。月に1回くらい無性に山に行きたくなる。せわしない日常生活から抜け出して自然のなかに飛び込んで汗をかくとだいたいのストレスは吹っ飛ぶ。が、いちばんの魅力は山の上で食べる食事である。地上の3倍は旨くなる。
というわけでご近所の霊峰、文珠山(365m)に初登りに行ってきた。2年前もたしかここを初登りにしていたような・・・。今回は甥っ子(7)と母と一緒に行った。頂上からの眺めは良いし、登りやすいし、トイレもあるし、駐車場には水洗い場があってシューズの泥を落とすためのブラシまである至れり尽くせりな登山コースである。とうぜん、大人気だ。駐車場はすぐ埋まる。
山頂で飲むコーヒーはたとえインスタントでも至福の時間だ。我々はコーヒーという熱い液体をただ飲んでいるだけではないのだ。周囲の空気、環境、いっしょに飲む人、気温、太陽光、すべてを飲んでいるのだ。
この至福の時間のために好日山荘でアウトドアフード用品を揃えた。自分へのお年玉である。
イワタニ(Iwatani) カセットガス ジュニアバーナー CB-JRB-3 & カセットガス オレンジ CB-250S-OR
- 出版社/メーカー: イワタニ(Iwatani)
- メディア: スポーツ用品
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バーナーは登山用の丸形スライム状のガス缶を使うタイプ(圧縮されて液体になった液化石油ガスが入っている)の「ガスカートリッジ」(通称OD缶・アウトドア用ボンベ)というものが主流なのだが、円柱型の「カセットボンベ」(通称CB缶)の方が安価で入手性も良いかなと思ったのでイワタニ製の「カセットガスジュニアバーナー」にした。カセットボンベの中身はLPG(液化ブタン)である。家庭で鍋とかによく使われるあれである。3本¥198とかで買える。実際使ってみたら火力も強いしコンパクトになるしケースも付いている。これはありがたい。イワタニは家庭用のカセットボンベを国内で初めて発売した会社のようだ。阪神大震災の際にカセットガスの規格の統一化も図られたようで、各社互換があるようだ。登山用の「ガスカートリッジ」には互換性はないようだ。ガスカートリッジとバーナーは同メーカーのもので揃えろ、とどこのブランドのサイトを見ても書いてある。他メーカーでも使える組み合わせもあるんだろうが推奨はされてないのだろう。ガスカートリッジの最安値は371円(110g)。カセットボンベは92円(250g)。コスパ良し。ちょいとかさばるのが難点か。
スノーピーク(snow peak) チタンシングルマグ 450 MG-043R
- 出版社/メーカー: スノーピーク(snow peak)
- 発売日: 2014/04/01
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マグはスノーピーク。保温性に優れたダブルは直火にかけられないのでチタンシングルに。
PRIMUS(プリムス) イージークック・ソロセットS P-CK-K102【日本正規品】
- 出版社/メーカー: PRIMUS(プリムス)
- 発売日: 2013/03/05
- メディア: スポーツ用品
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クッカーもスノーピークにしようと思っていたが、高価なのと、持ち手にゴムが付いていて熱くなっても持ちやすそうなスウェーデンのPRIMUSにした。スノーピークのはハンドルの遊びがどうも気になった。PRIMUSのこれは価格も手頃。
スノーピーク(snow peak) チタン先割れスプーン SCT-004
- 出版社/メーカー: スノーピーク(snow peak)
- 発売日: 2012/03/12
- メディア: スポーツ用品
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スプーン兼フォーク。
卵ケース。隠れたロングセラーらしい。このケースのまま湯に入れてゆで卵をつくれる。
これらはすべてスタッキングして収納可能。
アウトドアグッズを揃えるのは楽しいなあ。しかし法外に高いものもある。たとえば折り畳める座布団は100円ショップのやつで充分だったりする。今年もいろんな山に登りたい。富士山でコーヒーが飲みたい。
2016年の年末年始
今週のお題「年末年始の風景」
紅白歌合戦とガキの使いザッピングしながら年を越した。福井では長く雨が降り続いていた。行く年来る年で永平寺が映った。兄貴に明けましておめでとうと言った後でほろよい気分のなか外に出た。雨は止んでいた。満天の星が出迎えた。月明かりで応善寺に向かい、鐘つきをした。ボオーンという響きが近所を包んだ。手を合わせてお詣りをした。
近所の春日神社で初詣。神仏両方やっとく。春日神社は参拝客向けにお神酒とぜんざいをくばってくれる。旨し。
起床後、初映画。スティーブン・スピルバーグの『未知との遭遇』をBlu-rayで鑑賞する。町山さんの映画評で内容を知った気になっていたがじつは初見であった。SFというよりはミステリーだという印象。スピルバーグの映画はだいたい「なにかに取り憑かれた男」が主人公である。デビュー作『激突』、サメ退治に命をかける『ジョーズ』、宇宙人の侵略から家族を守る『宇宙戦争』、奴隷解放を使命と感じる『リンカーン』。『未知との遭遇』はUFOを目撃してしまったロイが家庭も仕事も顧みずにUFOの謎に取り憑かれてしまう。夢のある物語というよりは一種の狂気を描いている。ポテトを山の形に盛る。家族が止めるのも聞かず部屋いっぱいの山の模型を作ってしまう。ロイとともにUFOを目撃した主婦もついつい山の絵を描いてしまう。テレビでその山のことが報道される。その山とは毒ガスが漏れて立ち入り禁止になっているデビルズ・タワーであった。ロイ以外にもデビルズ・タワーに惹かれてやってきた人間も多数いる。この辺の展開はユングの集合的無意識を想起させて非常に興味深い。ゲームの『MOTHER』の元ネタもこれだろうな。最後、ロイはUFOに吸い込まれていく。本当に楽しそうな笑顔を浮かべて。UFOはメリーゴーラウンドのようにキラキラ光りながら宇宙空間へと去っていった……。物語とは「行って帰る」ことである。が、『未知との遭遇』は行ったまま帰ってこない。行ったまま帰ってこない映画はホラー映画と呼ばれる。少年らしい夢を叶える映画ではなく、「未知のもの」との遭遇を通じて決定的に人生が狂った男の悲劇を、幻想的に感動的に描いた映画だった。おっもしろかったなあ。
- 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
- 発売日: 2015/12/25
- メディア: Blu-ray
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2015年を映画などで振り返る
旧作ベスト
- いまを生きる
- ぐるりのこと
- ビューティフルマインド
1はまず邦題が素晴らしい。原題は死せる詩人の会。鬱で自殺してしまったロビン・ウィリアムズのベストアクトはこれだと思う。2は劇場公開以来7年ぶりに見たらまったく感想が変わっていた。流産で鬱になる木村多江よりもリリー・フランキーが刻む時代との連動と「人、人、人……。」という達観に唸らされた。3の激動の人生に吃驚だが脚色も上手い。なんか心が弱った人が出てくる映画ばっか褒めてるなあ。
新作ベスト
ファンサービスに徹したかのようなSW ep7、劇中で3回は泣いた。おれはこんなにスターウォーズ好きだったのかと再認識。エンタメかくあるべしというか。ep9(2019年公開)まで死ねないな。マッドマックスもトライブも、エキセントリックで革命的だった。野火はもう心意気だけでも凄い。恋人たちは主人公の職業と立ちションがいい。縄文号は撮影4年編集3年つうのが凄すぎ。寝てる〜の優しさに涙。結婚ホラーのゴーン・ガールにエキセントリックなお馬鹿キングスマン、そしてもっともっといろんな人に見て欲しい森のカフェ。
予告編大賞
アメリカン・スナイパー
映画『アメリカン・スナイパー』予告編
撃つか、撃たないかー、ストーリーとキャラクターを緊迫感とともに見せきる秀逸な予告でした。本編もすごい。
スゴ本
完全版 水木しげる伝
原発と祈り
炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学
脱資本主義宣言
嫌われる勇気
エアー2.0
悪貨
ガダラの豚
永遠も半ばを過ぎて
「水木しげる伝」と「嫌われる勇気」を読んでおけば絶望している暇なぞ無くなり生きる力がみなぎる。それくらい「効いた」2冊。エンタメ小説では「エアー2.0」「ガダラの豚」「悪貨」「永遠も半ばを過ぎて」の4冊が面白すぎた。
来年の目標
貯金
ミニマル
報告連絡相談
デモ田中組とアンチCGと映画制作の宗教性について
デモ田中組クランクアップ。
とにかく終始笑いの絶えない楽しい現場だった。ぼくは撮影助手 兼 ドライバー 兼 DIT という役割をやらせてもらった。サービス精神満タンのシナリオであったので間違いなく面白い映画になると思います。来年公開。
関係者の皆様本当にお疲れ様でした!
しかし、クランクアップしたという達成感があんまりない撮了であった。実景とか小物撮りを年明けに残しているからかと思ったがよくよく考えてみるとそうではない。
本作は「SF」なのである。SF映画はカネがかかるのが常識であるが本作には潤沢な予算などない。「B級感」というテイストで粗を味に変えねばならない。
で、撮影の諸々の進行の都合上、後で撮ったり、1週間前に撮ったものであったりいろんなものを「借りて」進行させねばならない。「見立て」が必要なのだ。CG合成した結果を脳内で合成し、モンタージュしながらバッラバラに撮っていかないといけない。これはなんとも想像力を酷使する仕事だ。同時に体力も使う。特撮の仕事をしているスタッフの方々には慣れたものなのかもしれないが、ぼくには未知の作業であった。つまるところ特撮だったりCG処理っていうのは仕上げの場でも映画作りをするということである。パソコンのデスクトップ上で映画を完成させるということだ。コンピューターによる映画作りで失われたのは集団による祭りの熱狂なのかもしれない。今作のクランクアップによる達成感の無さの原因はここらへんにあるような気がする。
ドライに「素材の撮影が完了した」というのが「クランクアップ」だとは思わない。クランクアップにはなにかまた別種の感慨がある。あるべきなのだ。それは一種の儀式性を伴う。
映画館は遊園地のようなものというよりも寺とか神社とかの祈りの場に近いものであるという風に思っている。ということは制作する側にも儀式性が大事だよなと思っている。もっというと宗教性が必要なんだと思う。本作は監督の強い要望により、シナリオを製本する予算を削ってまで、花園神社でのお祓いをした。なにごとも事故なしにクランクアップしてバラしまでつつがなく終えられたのはお祓いの甲斐あってのものなのだ。そうやってうまくやるというのが日本人的なソリューションなのだと内田樹も言っていた。
とくにSFは「そこにないもの」をつくらなければいけないジャンルである。ライムスター歌丸が年末のシネマランキングで世界的なアンチCGの流れがあると言っていた。「インターステラー」「マッドマックス 怒りのデスロード」「スターウォーズ フォースの覚醒」に共通するハリウッドのアンチCGの流れってきっと「現場主義」ということだと思う。CGでなんでもできちゃうんでしょ?そして世界から驚きが消えた。
「ポスプロでどうとでもなる主義」と「現場主義」の違いは儀式性とライブ性である。いまを生きるかどうか。ぼく個人は「ありものでなんとかする主義」である。あるものでなんとかするしかないんだよ。
というわけで来年はこの映画の仕上げである。ぼくはカラリストとしても雇われているので、 撮影の粗をとにかく最小に抑え、かつ作品に見合ったルックを発見しなければいけない。仕上げ予算がほとんどなくなっているだろうから合成なども手伝うことになるだろう。ありものでなんとかやろう。