ずっと風邪で寝込んでた。やっとタバコが吸えるくらいに回復したので、映画を見に行った。
「エンディングテーマ曲:Cocco」という文句に懐疑心を抱きながら、塚本晋也の最新作「ヴィタール」を見た。浅野忠信主演、Cocco主題歌ってことでオシャレでキレイな映画だと思わせといて、塚本節バリバリの映像で観客をゲロゲロに酔わせるって戦略か、と思ってたら、フツーにキレイな映画だった。
解剖がテーマな割には死体をあまり写さないし、塚本お得意の手持ちでグラグラ揺れる画面とか、石川忠のノイズミュージックも控えめ。エンドロールでCoccoがかかったりするもんだから、キレーな感じでまとまっちゃって終わる。
塚本晋也は「都市と人間の対立」から人間そのものにテーマが移っていくなかで、彼が得意としてきたいろんな映像表現を落としてきているような気がする。エロで、とかく安っぽく、でも愛おしい表現。それは塚本にとっては余計な贅肉を落とし、純化させるための進化なのかもしれないが、鉄男にハマって以来のファンである俺にとっては寂しい限りである。
そういえば塚本晋也の出演がなかった。「双生児」以来だろうか。確かに、あの団子っ鼻で、目がギラギラしたオヤジが出てくるだけでアングラ臭が高まる気がするから、ヴィタールはキレイな映画の感じがしたのだろうか。
「六月の蛇」で見せた雨の降る中での映像や、深度表現によるタテの構図使いはますます進化を見せた。でもそれはキレイだな、っていうだけで、たいしたサプライズではない。目を見張るような、キリキリした映像、それが塚本映画だと思っていた。
どーでもいいんだけど、CoccoとMisiaとUAの区別がつかない。映画の主題歌によくなるソウル系の女の歌手みたいな認識しかなくて、聞き分けて聞いたことがないから誰が誰だかよくわかんない。Misiaは「ドラゴンヘッド」のエンディングで死ぬほどムカついたし、UAは「水の女」で死ぬほど退屈させられたから悪玉。Coccoは「回路」でエンディングテーマだったから、善玉だ。
俺の音楽観なんてそんなもんだ。だから俺の映画評なんかもアテにしてはいけない。