FilmMaker Ishikawa Shingo

「蘇りの恋」「カササギの食卓」「出発の時間」「あさごはん」などの映画監督、石川真吾のブログです。

おれの聖書その1「シネマトグラフ覚書」

昨日のブログを書くために、ロベール・ブレッソン「シネマトグラフ覚書」を久しぶりに開いた。

シネマトグラフ覚書―映画監督のノート

シネマトグラフ覚書―映画監督のノート

独自の映画哲学(反演劇)による、明瞭なアフォリズムで構成されたこの本は、自主映画をやるような学生どもをアジらせる聖書として読まれている。じっさいおれも大変ハマった。ハマりすぎて、書かれていることを実践しようとブレッソンの真似事ばっかしてた。いや、ブレッソンの映画をちゃんとコピーできてればそれはそれで凄いんだけど、大抵は表層的なコピーに終わる。よくやるでしょ、学生って。小津風とか、ヒッチコック風とか。画面がキャッチーだからマネしたくなるんだよね。黒沢清もどこかで書いていたけど、この二人のコピーはマジで鬼門。天才のみができる異常なショットばかり。スタイルとテーマが不可分に結びついてないと、まねしても超カッコわるい。はい、おれ、まねばっかしてました。ブレッソンのまねも禁止!ていうか、無理だよ。演劇的要素を完全に排除するのは、作劇そのものの否定になる。つまり、つまらない映画になる(ブレッソンの映画じたいは素晴らしいけどね)。映画を醜悪な見せ物として見るか(by柳下毅一郎)、芸術として見るかの問題でもある。おれ柳下氏的スタンスに立っていたつもりだったのに、ブレッソンなんかにハマったせいで学生時代を無駄にしたよ。
興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史

興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史

そうは言っても、「シネマトグラフ覚書」が名著であることには変わりない。あらゆる創作の根幹に言及している、思わずメモをとりたくなる至言でいっぱい。以下、またしても引用で終わる芸のなさ。

美しい写真はいらない、美しい映像もいらない。必要欠くべからざる映像と写真があればよい。

人間の自然を、本性を、尊重すること。それを実際以上に露骨なものたらしめることなく。

セリフの洪水が映画を損なうということはない。セリフの量ではなく、種類が問題なのだ。

感情が事件を導くべきだ。その逆ではなく。

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