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FilmMaker Ishikawa Shingo

「蘇りの恋」「カササギの食卓」「出発の時間」「あさごはん」などの映画監督、石川真吾のブログです。

まぬけ面のイル・ゲーム

 今日、ヨドバシアキバに買い物に行った。つくばエクスプレス駅側の正面出口(Vie de France前)は「ルイーダの酒場」という、ドラゴンクエスト9の「すれちがい通信」をするためのスペースとしてイベント化され、多くの利用客が集まっているという報道があった。あの報道から3ヶ月。

 いまだにそのスペースにはDSを持った人間が集っていた。「ルイーダの酒場」自体は解体されていたが。平日午後9時だというのに、30人近くの男女が(女性は二人しかいなかったけど)薄暗いなかで地べたに座り、煌々と光るちいさなディスプレイに魅入っている。会話はひとつもない。画面上では彼らのアバターたちがアイテムを交換し、冒険を楽しんでいるはずなのに、かれらは終始、無表情であった。

 これは異様な空間だなと思った。気持ち悪かった。ここで、ヴァーチャルなコミュニケ-ションでしか交流できない現代人の孤独だとか疎外感だとかいうおさだまりの常識をふりかざして彼らを批判する気はない。ただ、400万本近く売れた、あんなによくできたゲームで、ちっとも楽しくなさそうに見えてしまうのはなんでなんだろうか。まるで何かの労働をさせられているようだ。ひょっとしたら、そもそもゲームをプレイしている人間の顔なんて、PS3のCMほどには表情豊かでもなんでもない、ぶっきらぼうな顔なのかもしれない。なにがプレイフェイスだよ。じゃあ役者使うんじゃねえ。

 ひとりぼっちのボロアパートで青白いディスプレイに向かってtwitterしているぼくの姿と彼らと、なんの違いがあるというのか。つまるところ、ぼくがかれらに嫌悪感を抱いたのは、かれらの姿は同時に自分の姿でもあるからなのだ。他人という鏡を通して、結局自分を見てしまった。ぼくたち娯楽産業者はジャンルの違いはあれど、皆このまぬけ面を生産するために生きているのだ。

 「面白い」という言葉の起源は、原始時代、火を囲んで踊ったり歌ったりする我々の祖先の顔が、炎に照らされて白く見えたからだそうである。段ボール製ロボコップスーツで自主映画を作る「僕らのミライヘ逆回転(2008)」は、スクリーンから透過したプロジェクターの光が、住民たちの顔を白く彩り、まさに「面白い」の起源の瞬間を再現していた。

 へたな社会変革願望をもって創作に望むのも、自己実現のためだけに創作をするのも危険だし退屈だと思うけど、それでも、「少しでも世の中をよくしたい」と考えてものをつくりたし、きっとみんなそうしているはず。その結果があのまぬけ面なのなら、絶望するしかないね。それにしても新しいDS、DS iLLとしか読めん。ill イル=[不快で、邪悪な、不吉な]。ああ、ゲーム機なんぞそういう邪悪なものだと任天堂は認めたわけだな。

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