FilmMaker Ishikawa Shingo

「Hairs」「Food 2.0」「スティグマ-STIGMA-」「裸で汁を出すだけの簡単なお仕事です。」「ラジオスターの奇跡」「蘇りの恋」「カササギの食卓」「出発の時間」などの映画監督、石川真吾のブログです。

潔癖性のMちゃん

学生時代の同級生にMちゃんという娘がいた。いつも溌剌としていたが、どこか人を遠ざけることのある娘だった。大学三年生の後半にドキュメンタリーの授業があって、彼女もその授業を受けていた。その授業は課題としてドキュメンタリーを撮ってこい、というものだった。Mちゃんの作った作品は凄まじいものだった。Mちゃんは極度の潔癖性だったのである。Mちゃんが電車のつり革に触れてしまい不潔だと泣き叫ぶ様子、何時間も手を洗う様子、不潔恐怖症が高じて親とも兄弟ともケンカし、とうとう不登校になる……。そういった生い立ちを、自らにカメラを向け告白するという、セルフドキュメンタリーなのであった。もう11年も前のことだが、手法も内容も強く印象に残っている。

不潔恐怖症も、強迫神経症の典型的な病型の一つです。風呂に入ると、まず蛇口が汚れているといって蛇口を洗い始める。洗っているうちに、飛沫がこっちに飛んだのでそこも不潔になってしまったので洗わなければ……となる。それが際限なく行われる。こうやって、一度入浴したら五、六時間は出て来られないことになってしまう。そんなわけで、入浴自体が大変な作業と化し、めったに入浴出来なくなってしまう。結果として、不潔恐怖なのに不潔になってしまうのです。
ーー泉谷閑示『「普通がいい」という病』より


influenza virus. Taken from http://influenza.blog.hu

バイキンだらけの世界で彼女の手は荒れてゆく

Mちゃんの目には世界がバイキンだらけに見えていたのだろう。中学生のときに発症した潔癖性のために外に出れなくなり、ついには高校も行けなくなる。外の「バイキン」を身につけて帰ってくる家族に怒鳴り散らし、徹底的な手洗いを求め、コントロールできない自分の感情を呪う。自分の身体や手にもバイキンがいっぱいいて、綺麗にしなきゃと思えば思うほど、消毒液や石鹸で手は荒れてゆく。

彼らに特徴的なのは、一見論理的であることです。スーパー論理的と言ってよいほど徹底的に論理的推論が、こだわりの部分に駆使されます。万が一にしか起こらないような危険性についても、「まあいいや」とか「なるようになるさ」と考えることが出来ません。硬直化した論理の究極の姿です。
外科医は、手術前に厳しい手洗いマニュアルに基づいて、手洗い消毒を行います。これは、感染防止のための合理的な方法なのですが、これと不潔恐怖症の人の手洗いは、本質において同じです。しかし、私たちが普段の生活をしていく上で、そこまで手洗いをしないと病気になったりするでしょうか。もちろん、そんなことはありません、なぜなら、われわれにはある程度の抵抗力が備わっているからです。しかしそのことは、強迫神経症の人の計算にはまったく入っていません。
このように考えると、強迫神経症の人は「精神の抵抗力」が落ちている状態にあるとも言えるでしょう。(前掲書)

精神の抵抗力が落ちているとは、実に言い得て妙だなと思った。ネガティヴな状態にあると、とことん思考がネガティヴになる。ニーチェは哲学的思案を徹底したが故に発狂した。ある程度適当に生きたほうがよい。これを高田純次イズムという(笑)

きれいは汚い、汚いはきれい

衛生とは希釈である。無菌状態で育った子は弱い。人体に害をなす菌をどれだけ無くせるか、ではないのだ。どれだけ「薄めること」ができるかが衛生というものなのである。日本人の美徳はきれい好きというところだが、きれい好きすぎるのもよろしくない。きれいは汚い、汚いはきれい。

Mちゃんにはもう10年も会ってないけど、元気だろうか。再会したら、握手をしたい。握手ができるくらいに回復しているといいのだが。

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)