FilmMaker Ishikawa Shingo

「Hairs」「Food 2.0」「スティグマ-STIGMA-」「裸で汁を出すだけの簡単なお仕事です。」「ラジオスターの奇跡」「蘇りの恋」「カササギの食卓」「出発の時間」などの映画監督、石川真吾のブログです。

行列のできる自主映画作り

とある自主映画の現場にお邪魔している。 自主映画とは、監督主体の映画作りのことである。監督が予算を出し、監督が撮りたいもの撮る。(ほぼ)監督がシナリオを書き、監督が編集をする。映画作りは決して一人ではできない。役者、カメラマン、録音マン、弁当の手配をするヒト、撮影場所を貸してくるヒト・・・。多数の無償の協力のもと、自主映画作りが成り立っている。その際に必要なのは、監督の「人たらし力」のようなものである。この力は計測できない。が、確実に存在する。 映画作りというものは基本的に、「面倒」なものだからだ。面倒に付き合ってくれる方々のおかげで成立している。なので監督というのは得てして腰が低く、愛嬌があり、冗談が巧く、人を巻き込む魅力がある。だがたまに「人たらし力」の欠けた監督というのもいる。巻き込まれるのだけは避けたい、と人に思われる監督がいる。 映画作りというのは才能というよりも、「技術」であると思う。技術であれば学べる。たまに真の天才は技術など学ばなくても傑作を撮ってしまうものだが、そのような天才の出現を期待はできない。ロケーションの交渉をする技術、予算を削減する技術、シナリオを面白くする技術、役者の芝居を引き出す技術、美しい絵を撮る技術、感動を起こす編集をする技術・・・。技術は経験によって厚くすることができるし、他人から学ぶこともできる。だが「人たらし力」は学べるのだろうか。「人たらし力」も一種の才能ではないか?デール・カーネギーの「人を動かす」によれば、人を動かすことも技術である。他人の名前を覚えたり、言葉の使い方を変えたり、無数のテクニックがある。つまり「人たらし力」も技術であるということだ。天性の人たらしもいるが、そうでない凡人の我々は人を動かす技術があるということを戒めよう。厳しい口調で命令したり、指示があいまいだったりするのは非常によくない。行列のできる自主映画作りを目指したいものである。

人を動かす 新装版

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