FilmMaker Ishikawa Shingo

「蘇りの恋」「カササギの食卓」「出発の時間」「あさごはん」などの映画監督、石川真吾のブログです。

デモ田中組とアンチCGと映画制作の宗教性について


デモ田中組クランクアップ。
とにかく終始笑いの絶えない楽しい現場だった。ぼくは撮影助手 兼 ドライバー 兼 DIT という役割をやらせてもらった。サービス精神満タンのシナリオであったので間違いなく面白い映画になると思います。来年公開。
関係者の皆様本当にお疲れ様でした!


しかし、クランクアップしたという達成感があんまりない撮了であった。実景とか小物撮りを年明けに残しているからかと思ったがよくよく考えてみるとそうではない。

本作は「SF」なのである。SF映画はカネがかかるのが常識であるが本作には潤沢な予算などない。「B級感」というテイストで粗を味に変えねばならない。

で、撮影の諸々の進行の都合上、後で撮ったり、1週間前に撮ったものであったりいろんなものを「借りて」進行させねばならない。「見立て」が必要なのだ。CG合成した結果を脳内で合成し、モンタージュしながらバッラバラに撮っていかないといけない。これはなんとも想像力を酷使する仕事だ。同時に体力も使う。特撮の仕事をしているスタッフの方々には慣れたものなのかもしれないが、ぼくには未知の作業であった。つまるところ特撮だったりCG処理っていうのは仕上げの場でも映画作りをするということである。パソコンのデスクトップ上で映画を完成させるということだ。コンピューターによる映画作りで失われたのは集団による祭りの熱狂なのかもしれない。今作のクランクアップによる達成感の無さの原因はここらへんにあるような気がする。

ドライに「素材の撮影が完了した」というのが「クランクアップ」だとは思わない。クランクアップにはなにかまた別種の感慨がある。あるべきなのだ。それは一種の儀式性を伴う。

映画館は遊園地のようなものというよりも寺とか神社とかの祈りの場に近いものであるという風に思っている。ということは制作する側にも儀式性が大事だよなと思っている。もっというと宗教性が必要なんだと思う。本作は監督の強い要望により、シナリオを製本する予算を削ってまで、花園神社でのお祓いをした。なにごとも事故なしにクランクアップしてバラしまでつつがなく終えられたのはお祓いの甲斐あってのものなのだ。そうやってうまくやるというのが日本人的なソリューションなのだと内田樹も言っていた。

とくにSFは「そこにないもの」をつくらなければいけないジャンルである。ライムスター歌丸が年末のシネマランキングで世界的なアンチCGの流れがあると言っていた。「インターステラー」「マッドマックス 怒りのデスロード」「スターウォーズ フォースの覚醒」に共通するハリウッドのアンチCGの流れってきっと「現場主義」ということだと思う。CGでなんでもできちゃうんでしょ?そして世界から驚きが消えた。

「ポスプロでどうとでもなる主義」と「現場主義」の違いは儀式性とライブ性である。いまを生きるかどうか。ぼく個人は「ありものでなんとかする主義」である。あるものでなんとかするしかないんだよ。

というわけで来年はこの映画の仕上げである。ぼくはカラリストとしても雇われているので、 撮影の粗をとにかく最小に抑え、かつ作品に見合ったルックを発見しなければいけない。仕上げ予算がほとんどなくなっているだろうから合成なども手伝うことになるだろう。ありものでなんとかやろう。