『リリカルスクールの未知との遭遇』公開に寄せて
HIPHOPアイドルユニット「リリカルスクール」の主演映画『リリカルスクールの未知との遭遇』が本日公開される。
僕はDIT(デジタル・イメージング・テクニシャン)としてクレジットされているが、実際の現場では車輌部もやったしカラーグレーディングのお手伝いもしたしCG処理も応援したし、グラフィック処理も一部担当した。僕のいままでの拙い映画人生のキャリアのなかで一、二を争うエンターテインメント映画に仕上がっている。まさに「なんでもありのウルトラハッピーパーティームービー」だ。
『リリカルスクールの未知との遭遇』に寄せられたコメントを引用する。(公式サイトより)
な、な、なぜだ!?
75分間ず~~っとニヤけっぱなしでした!(シラフで!)
荒川良々(俳優)
デモ田中「リリカルスクールの未知との遭遇」。デモ田中監督のドラッギーなワールド全開ですごく楽しい作品だった!リリカルスクールファンに向けられた映画かもしれない、デモ、デモ!デモ!!デモ田中ワールドも是非体験して欲しい!最後に自然と涙が出たよ!お疲れ様でした!
西村喜廣(映画監督)
つっこみどころ満載だけど、ラストの彼女たちの本領発揮は圧巻!
山本英夫(漫画家)
デモ田中監督『リリカルスクールの未知との遭遇』、びっくりポンな怪・・・いや傑作ドラッグムービーだった!面白い!
佐藤佐吉(映画監督)
最高にフレッシュでした。長さもちょうどいい感じですね。音も効果音もアニメーションSFXもかっちょよかったです。リリカルスクールの皆さんはもちろん、出演者の皆さん全員がなんだか爽やかに見えてくるのもワクワク素敵な青春感覚と爽快感でした。ピース、ユニティ、ラヴ、ハヴィング・ファン、アンド・宇宙のファンタジー!
COMPUMADJ / アーティスト
もしこの映画を見るまで、彼女達の存在を知らなかった方には、映画終盤に登場するライヴ・シーンをしっかりと目に焼き付けて欲しい。そこでは映画という虚構の中に、彼女達の生き様や実存が、しっかりと輝きを放っている。そして現実の彼女達のライヴにも足を運んで欲しい。“プチャヘンザ!”で歌われる通り、我々とリリスクは、「出会った時からダンスをする運命」なのだから。
高木“JET”晋一郎ライター/男の墓場プロ所属
潤沢な予算や知名度に頼らない。こうした映画こそリアルタイムで、劇場で観ることに大きな意味がある。
田野辺尚人(別冊映画秘宝編集長)
自分がちょっとでも関わった映画に著名な方々がコメントしてくれているのは嬉しいものですね。映画の公式サイトにはもっと多彩な方々のコメントが載っていますのでご参照ください。
映画「リリカルスクールの未知との遭遇」オフィシャルサイト「コメント」
昨年、僕がクランクアップした際に書いたエントリーがこちらである。
「映画の宗教性」について感傷的に書いてある。「未知との遭遇」とは「聖なるもの」との遭遇である。つまり「未知」≒「神」≒「宗教」≒「音楽とドラッグと祝祭」・・・。こういったワードを並べていくと、映画『リリカルスクールの未知との遭遇』になるのだ。
「リリカルスクール」は2010年から活動しているHipHopアイドルユニットだ。デビュー時は「tengal6」という名前で活動していた地下アイドルであった(笑)僕の母校である武蔵野美術大学でPVを撮影していたり、予備校の後輩がメンバーにいたり、そもそもプロデューサーであるキムヤスヒロくんがムサビの映像学科の後輩であったので、噂は聞いていたし、仕事もちょいちょい手伝っていた仲だ。ブートロックの佐々木さんも馬車馬企画の仲間だ。センスのいいHipHop好きがアイドルとの融合を図り、シーンを引っ張っていっている。
しかし僕は正直、HipHopについて何も知らない。日本のHipHopレジェンドM.C. Boo(日本でいちばん早くBEASTIE BOYSを広めた。a.k.a.脱線3) さんが深く制作に関わっている(HipHopスーパバイザー兼共同脚本)というのに、HipHopについてのコミュニケーションをあまり図れなかった。HipHopについて深く考えたり見聞を広めることもできなかった。BIKKE(Tokyo No1 Soulset)さんやスチャダラパーANIさんといった大物アーティストたちと現場をご一緒させていただきながらも、HipHopについては「よそ者」なのである。
僕が好きなのは「映画」である。なので映画についてしか書けない。ここからは、「現代的なB級映画」とは如何なるものであるか?ということを書こうと思う。おそらくだが、HipHopの成立も「B級」というものに深く関わっている。HipHopは悪く言えば「盗作」の文化なのである。
音楽への愛だけはあるが、実力も金もセンスもない貧乏人が、既存のレコードをサンプリングして独自の音楽をつくった。他人のつくった音楽に、専門的な音楽知識もなく、音階もとれないアーティストが、自己の存在をひたすら言葉にする「ラップ」というある意味「楽ちん」な歌唱法で新しい音楽をつくった。
「A級」へのあこがれが「B級」なる音楽=HipHopを産んだのだ。もちろんいまではHipHopは世界中で莫大なセールスを上げる「A級」の音楽へと成長している。しかしその黎明期にはたしかに「B級」という辺境感が漂っていたはずなのだ。
結論を述べる。
B級映画のチープさを認めることこそが文化の豊かさを保証するのだ。
つまり、文化は模倣である。
東京オリンピックのロゴ問題で「パクり騒動」などと騒いでいる方々がいた。インターネット上には、ときどき漫画のトレース疑惑を告発したり、文章の剽窃を告発する文章が定期的に上がる。
人間がどのようにものを作ってきたかの歴史に想いを馳せる。表現はまず自然の模倣から始まる。欧州最古(≠世界最古)の絵画といわれるラスコーの洞窟画(15,000年前)は牛や馬や鹿など動物を描いていた。「そこにあるもの」を残すため絵を描いた旧石器時代のクロマニヨン人は自然や動物を「模倣」した。生命の儚さを表現したのか、動物学的な面白さが古代人たちの興味を引いたのか、理由はわからない。でも、表現は15,000年の風雪を耐えた。著作権などというものがない古代の、純粋な時代の話だ。
だが、アーティストという存在の「表現したい欲望」は、法や論理観を突き抜けて宇宙まで達する。せいぜい数百年の歴史しかない近代法など、おかまいなしだ。15,000年前から人類が築き上げてきた芸術への指向性、なにか美しいものへの探求、聖なるものへの接近・・・。「聖なるもの」がA級だとすると、自分の作るものは「B級」だ。だがそれでもいい。すこしでも「神(超越的なもの)」へ近づきたい。ヌミノーゼ(Numinöse)への志向。超越神が創りたもうた世界を模倣する喜び・・・。
だんだん話のスケールがデカくなってきたので本題に戻す。
『リリカルスクールの未知との遭遇』は難しいこと考えずに誰でも楽しめるSF青春アイドル音楽ムービーです。博多っ子であるデモ田中監督の感性が爆発した、ラーメンで言えば「全部のせ」のエンターテイメント作です。まさに「なんでもありのウルトラハッピームービー」であります。
低予算映画ならではの「粗」はありますが、その「粗けずりさ」が魅力でもあります。「B級」への志向は映画の経済性へのカウンターです。レンタルビデオ屋に埋もれたゴミクズのような映画のなかにお宝が眠っている感覚です。映画制作はとにかく金がかかります。SF映画ともなれば輪をかけてお金がかかります。しかし、長編映画デビュー作に潤沢な資金など集まりようもありません。しかし、お金がなくても情熱さえあれば面白いものを作れるんだ。トンチンカンでも愛情がこもっていればお客さんは楽しんでくれるはずだ。
本日、お客さんに楽しんでもらえるかどうかの、幕が開きます。ハッピーなバイブスが宇宙へ届くことを願って。
【劇場情報】
5/28(土)よりシネマート新宿
6/18(土)よりシネマート心斎橋
6/25(土)名古屋シネマスコーレ
以降全国順次公開
パーティ好きの連中がつくってますので劇場でのイベントも目白押しです。ぜひチェックしてみてください。
RUN and RUN / lyrical school 【MV for Smartphone】