FilmMaker Ishikawa Shingo

「Hairs」「Food 2.0」「スティグマ-STIGMA-」「裸で汁を出すだけの簡単なお仕事です。」「ラジオスターの奇跡」「蘇りの恋」「カササギの食卓」「出発の時間」などの映画監督、石川真吾のブログです。

必読、女性に『ザ・トライブ』の話をしてはいけない理由

全編聾唖者による台詞なしの映画ということで話題の『ザ・トライブ』をキネカ大森に観に行ってきた。ぼくが今年観た映画のなかでもナンバーワンのすっごい不快な映画だったので1ヶ月ぶりにブログを更新する。

『ザ・トライブ』は全編が「手話のみ」で描かれるウクライナ映画である。カンヌ国際映画祭2014で批評家週間グランプリ、ヴィジョナリーアワード、ガス・ファンデーション・サポートを受賞。ほか各国の映画祭で賞を取りまくっている。

聾唖というのは「耳の聞こえない人間」である。耳が聞こえない人間を教育する学校が「ろう学校」である。本作は寄宿制のろう学校を舞台にした青春映画であり、恋愛映画であり、スラッシャー映画であり、ギャング映画であり、犯罪映画である。

「トライブ=族」とは聴覚障害者や聾唖者たちの犯罪組織のことである。障害者の犯罪を描いた映画は日本ではなかなか作られない。日本のエンタメ界では障害者は弱者であり、困難に打ち勝つ「いいひと」でなければいけない。ポリティカリーコレクトネス(政治的正しさ)の観点からなのか日本社会を覆う空気からなのか、障害者を悪者として描く作品にはまずお目にかかれないのだ。柴田剛監督作品『おそいひと』くらいではないか。(未見)

障害者は映像においてある種の「聖性」をもって語られがちな存在である。特に日本人はウエットな「感動話」が大好きである。24時間テレビ愛は地球を救うである。障害をもつ人間は「可哀想」なのである。共同体というのは弱者を守るために発達したシステムである。弱者とは老人、赤ん坊、貧困、障害者、明日の我が身である。障害者は国も社会も全力でバックアップしなければならないのである。我が国では障害者を差別してきた長い長い不快な歴史があるからである。その結果、日本は世界でも有数の福祉国家になったと言われている。

『ザ・トライブ』のストーリーを引用しよう。

セルゲイ(グレゴリー・フェセンコ)は、聾唖者専門の寄宿学校に入学する。その全寮制の学校は公式祝賀会が開かれ、一見、民主的な雰囲気に包まれているが、裏では犯罪や売春などを行う悪の組織=族(トライブ)によるヒエラルキーが形成されており、入学早々にセルゲイも手荒い洗礼をうけることになる。リーダーを中心とする集団が観戦する中、セルゲイは、数人の学生を相手に殴り合いを強要されるが、一人で応戦し、意外な屈強さを誇示したことから、組織の一員に組み入れられる。 最初は、はっきりした序列ができあがっている組織の下っ端であったセルゲイも、恐喝や凶悪な暴力行為に加担していくうちに、次第にグループ内で実力者として頭角を現していく。 組織の主要な財源となっているのは売春で、セルゲイも先輩の付き添いで、毎晩のように、リーダーの愛人アナ(ヤナ・ノヴィコヴァ)と同室の女のふたりを車に乗せ、長距離トラックが駐車しているエリアに送り届けている。厳寒の中、何十台ものトラックの間を徘徊し、ドアを叩いて運転手に女たちを見せながら、交渉が開始。やがて交渉がまとまると、女たちは運転手に乗り込み、運転手とセックスをする。 ある夜、駐車場で、先輩が後方のトラックの発射音に気づかないまま、轢死してしまう事件が起こる。セルゲイは、すぐさまその後任に収まる。そして、夜ごと、送迎を繰り返すうちにセルゲイはアナを好きになってしまう。セルゲイは、恐喝で得た金を上納せずにアナに貢ぎ、たびたび関係を持つようになる。一方で、アナは同室の女とウクライナから脱出し、イタリアに旅立つのを夢見ており、リーダーは出入国管理事務所からふたりのパスポートを入手する。 もはや、アナへの狂おしい想いにとりつかれたセルゲイは、感情を統御できないままに、売春も元締めである木工の教師を急襲し、金を奪うとアナに差し出す。セルゲイは、アナに売春をやめるように、イタリア行きをとりやめるように懇願するが、激しく拒絶される。さらに、リーダーたちの手酷いリンチに遭い、満身創痍となったセルゲイは、怒りと憎悪を露わにし、ある決断を下す。

連想した漫画では「カムイ伝」と「ろくでなしブルース」。不快な映画ということでいうとミヒャエル・ハネケの映画を彷彿とさせる。ロベール・ブレッソンの遺作である『ラルジャン』の渇いた暴力、密閉空間での若者の成長譚ということで言えばジャック・オーディアールの『預言者』も想起したしギャングものと言えば『ゴッドファーザー・ファーザー』も、サイレント映画ハワード・ホークス『暗黒街の顔役』(1932)も想起させる。

しかしこれらの映画群と本作を決定的に分けるものは、「全編字幕なし台詞なし音楽なしモンタージュなし。ワンシーンワンカット。」という特異な演出方法だ。

ちょっとでも映画を見る方なら、これらがいかに危険な演出方法か十分理解できるだろう。退屈なものになる可能性が高い。観客が理解できないものになるリスクを秘めている。撮影がとんでもなく大変。などなど。しかし映画作家たるもの、多少は演出で冒険をしたいと思うものである。しかし、たいていの凡作は方法とテーマが乖離してしまっている。映画の文法は映画のテーマとリンクされて作られるべきものなのである。『ザ・トライブ』は字幕も台詞も音楽もシーン内の編集もないが、方法論とテーマが見事に合致し、じつに豊かに物語を紡ぎだしている。僕は手話をまったく理解できない。字幕も出ない。観ながら思った。ああ、これは「サイレント映画」なのだと。

鑑賞後にパンフレットを買った。監督インタビューでは、サイレント映画へのオマージュがやりたかったと述べていた。ああ、やっぱり。だが、ここまでドス黒い気分にさせられるサイレント映画も観た覚えがない。ドス黒い気分の正体は何かというと、圧倒的なリアリテイである。健常者が聾唖者を演じているわけではない。聾唖者が聾唖者を演じているのだ。僕も内臓が掻き毟られるような恐怖を味わった妊娠中絶シーンの、アナの鳴き声はトラウマ級だ。妊婦の方は絶対に見てはいけない。

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ーーたしかに暴力的な要素のある物語ですが、この映画に描かれていることはどれくらい現実に近いのでしょうか。実際に映画が撮影された地域は、危ない地域だとも聞きました。

「すべてではないけれど、この映画で語られるエピソードの多くは、僕が実際に聞いたもの、あるいは新聞などで読んだものだ。たとえば堕胎のエピソードは、僕が年配の女性から聞いた事実に基づいている。以前はウクライナで堕胎は禁止されていたから、闇でおこなうしかなかった。売春も存在する。ウクライナでは合法化されていないから、このビジネスは公には犯罪だけど、マフィアと警察が結託してコントロールしているという噂もある。」 (ミロスラヴ・スラボシュピツキー監督談/パンフレットより引用)

ザ・トライブ Blu-ray

ザ・トライブ Blu-ray

世界には残酷が存在している。人生は無慈悲である。聾唖者にとってだけ世界が沈黙しているわけではない。健常者にも神は沈黙している。もっともこの映画の印象に近い作品を思い出した。亀井亨監督の『無垢の祈り』(公開待機中)だ。


[Innocent prayer ]Movie Trailer#1.1「無垢の祈り」予告篇#1.1 ...


Innocent Prayer Movie Trailer#2 映画「無垢の祈り」予告篇#2/HD ...

『蘇りの恋』10/17福井駅前短編映画祭にて上映

福井駅前短編映画祭にノミネートされた。

ポスターを作らないといけないといけなくなったので急遽、自分で作った。PHOTOGRAPHER HAL紹介のデザイナーさんにやってもらう案もあったのだが、自分なりにビジュアルと売りが整理できたのでよしとしよう。突貫工事ながらそこそこいい出来ではないか?(自画自賛)これでこの映画に興味を持ってくれる人が増えればよいが。

『蘇りの恋』は結局15個くらいの映画祭にエントリーしたけど、ノミネートされたのは初である。初ノミネートが地元である福井だというのはじつに光栄である。会場は、テアトルサンク。小さい頃からよく通った映画館だ。福井駅からいちばん近くて大きい映画館じゃないかな?審査員長は俳優の津田寛治さん。福井出身だ。大学を卒業して初めて入った現場で主演をされていた。やはり縁があるのかもしれない。『蘇りの恋』を気に入ってくれているとよいのだが。

宣伝期間が2週間しかない。予告編もつくらなきゃ。とりあえずは瀬川くんが作ってくれたスナメリの詩の予告編を。



スナメリの詩プロジェクト 予告 - YouTube

映画祭ウェブサイト
福井駅前短編映画祭 | Fukui Short Film Festival

お近くの方はぜひ!
これを期に初福井もオススメですよ〜
恐竜、越前おろし蕎麦、ソースカツ丼、寿司、カニ、米、日本酒!

また開催が近くなったらお知らせいたします。

要するに福島というのは奇跡である

『ハルをさがして』おのまち上映会


満員御礼。194人入る会場に、なんと260人ものお客様にご来場いただきました。映画の上映は、大ウケ。こちらが想定もしていないところで笑いを取れたり、ロケ地に故郷が映るだけで拍手が起きたりと、じつにあたたかい上映会でした。上映後のアンケートでとっても感動したご意見があったので転載する。

震災で引っ越してしまった友達のことを
いまだに「◯◯くん、どこにいっちゃったのかなあ」と心配する息子がいます。
なんだか涙がとまりませんでした。

ーー女性・38歳 言語聴覚士

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梅沢和木『彼方クロニクル此岸』於「市街劇 怒りの日」展@いわき 菩提院


カオス*ラウンジの梅沢和木くんの新作は襖にプリントされた特大のコラージュ作品である。彼はムサビの僕の後輩である。梅沢くん、通称「梅ラボ」は在学中からゲームやアニメなどのサブカルチャーをコラージュした特異な作品を作り続けていた。近年は東浩紀編集の『福島第一原発観光地化計画』や雑誌『ゲンロン』などの表紙をずっと手がけていて、注目株のアーティストである。今回の展示は、福島のいわきをモチーフに、特大の襖にプリントされた作品である。オタクと宗教と震災の混沌を写し取るアートだった。お寺での展示というのもまたいい。菩提院には巨大な墓場があった。死が濃密な場所でこそ輝くアートというものがある。そもそもアートというのは祈りである。地下で宗教と芸術はつながっているのである(©近藤光博)。

福島は福の島である

福島県小野町のおじさま方の、原発問題に対する複雑な気持ちを生で聞けてとてもよかった。そして福島の日本酒は涙が出るくらい美味い!小名浜も面白い街だった。撮影でお世話になったスナックチャオでも酔っ払った。二瓶さんの言葉に感銘を受けた。

「復興予算で潤沢な資金が来るのはありがたいが、俺たちは福島で地に足をつけて生きていきたい。ある意味、原発事故のおかげで福島県民はひとつになった。県民意識という絆を持たざるを得なくなった。これは不幸なことなのか幸福なことなのかは分からないが、前を向いていかないといけない」

要するに福島というのは奇跡なのだと思った。アートは奇跡である。

福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2

福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2

「ハルをさがして」おのまち上映会

2012年の福島を舞台にした映画「ハルをさがして」おのまち上映会
★小野町をロケ地とした映画が完成し、上映会を開催します!

映画「ハルをさがして」

昨年の夏に、主にいわき市と小野町をロケ地として撮影された映画「ハルをさがして」の「おのまち上映会」が開催されます。

9月26日(土)14:00~上映開始(13:30開場)
場所は、小野町勤労青少年ホーム 小ホール
無料
お問合せは、小野町商工会 担当:二瓶まで
電話 0247-72-3228  FAX 0247-72-3256
※主演女優、佐藤菜月さんの舞台挨拶あり!

ストーリー

 2012年夏。昇(ノボル)は都内にある学校に通う中学3年生。同じクラスの勝(マサル)、寛樹(ヒロキ)と冴えない学校生活を送っていた。そんな昇が思いを寄せる同じクラスの千恵子は、東日本大震災、飼っていたハルという名の犬を残し、両親と福島から東京に自主避難してきていた。とある日、昇たちは千恵子から「ハルを一緒にさがして」とお願いされる。4人は福島に向かう。ハルを探すひと夏の冒険が始まった。

スタッフ

脚本・監督 / 尾関玄
プロデューサー / 内藤諭
撮影:栗田東治郎
編集:石川真吾
録音整音:小牧将人
音楽:遠藤浩二
主題歌:甲本ヒロト「呼んでくれ」

キャスト

小柴大河 佐藤菜月 小泉凱 橋本一輝 才藤了介 洞口依子 小沢仁志 他

企画・製作 / ISHIO

ぜひ!

Don't Follow the Wind 展を見にいった、とは言えない


ライターの木村奈緒さんにオススメされたので、『Don't Follow the wind ーNon-Visitor Center』展をワタリウム美術館に見にいった。素晴らしかった。

本展は、広島の空に飛行機で「ピカッ」という文字を描いたり、岡本太郎の「明日への神話」に原発を描きたしたりと、なにかとセンセーショナルな活動で注目されるアーティスト集団、Chim↑Pomが発案したものである。ガイド文を引用する。

本展覧会「Don't Follow the wind ーNon-Visitor Center」は、福島の帰還困難区域で開催されている展覧会「Don't Follow the wind (以下、DFW)のサテライト展です。

「DFW」は、2015年3月11日にはじまった国内外12組のアーティストによる国際展です。しかしこの展覧会「DFW」は、「今」は直接見ることができません。それは会場が2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震による東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質による汚染のため、一般の立ち入りが制限された地域にあるからです。「DFW」は政府によって区域の封鎖が解除される「そのとき」まで人々の想像力の中で見られ続ける展覧会なのです。

そのような状況をふまえ、本展では「DFW」にまつわる資料展示や、帰還困難区域に設置された作品に関連した各作家の展示、そして「DFW」のドキュメント映像などを展示しています。これは、4年以上たった現在もなお多様で深刻な問題が続く事故に対し、アーティストたちが真摯に向き合い、さまざまな角度から鑑賞者の想像力を喚起する試みです。


この展示は「仮」の展示である。帰還困難区域に「真の」展示場がある。↑これはその鍵である。

コンセプトも素晴らしいし、デザインもキュレーションも良かった。

思えば「風」を感じる展示だった。園子温のドキュメント映像では、通常の映像作りでは嫌われるボボボという風切り音がつねに響いていた。一時期、音屋をやっていた僕からしたら不快な音声だ。だが、ボボボという「吹かれ音」ほど風を感じるサウンドもないのだ。ドキュメントも、展示も、音の鳴る作品が多数あって、ボコボコ風に吹かれていた。

Don't Follow the Windとは「風を追うな」という意味だそうだ。原発事故後、みんなが北へ逃げる中、海釣りの経験があって風の流れを読むことができ、逃げる方向が違うと気づき東京方面へ逃げたという被災者の話に由来しているんだとか。Chim↑Pomリーダーの卯城さんは「風化、風評、原発事故後に関しては、風にまつわる言葉が多い。風は見ることができないし、見ることができないものに汚染もされた」と説明する。

僕はこの展示を見たとは言えない。不完全なものを見てしまったのだ。真にかれらのアートを堪能できるのは福島の帰宅困難区域が解除された時だ。

《ウェブサイト》Don't Follow The Wind.

たぶん人生で必要なものはすべて大学で出会った

〈2015年9月撮影、31歳〉
 

大学の同級生達に送別会を開いてもらった

友情というのはどれくらい秘密を共有しているかで濃淡の決まるものである。
大学生時代の友人というのは互いの恥ずかしい過去を10個くらい知っているものである。
再会するとたいてい「イタい過去」の殴り合いになる。
僕もどうしようもない学生だったので、ブログにはゼッタイ書けない出来事や、墓場まで持って行きたい秘密のいろいろがある。ここぞとばかりに「イタい過去」の話でボコボコに殴られたので、へんな記憶の回廊が開いてしまった。で、翌日、懐かしさに駆られて、大学に行ってきた。なにも変わらない。タイムスリップしたようだった。しかし確実に、14年ほどの年月が流れたはずであるのだ。しかし大学はまだたしかにそこにあり、お世話になった教授は学科教授になり、講師だった先生は特任教授になっていた。時代は流れていくのだが、大学と大学のある町は変化が鈍い。猛烈な速さで変化し続ける都心とは異質な心地よい空間だった。大学のことを考える際にどうしても思いだすのが小田嶋隆さんの『大学へ行く理由』という文章である。以下引用する。

  とすると、大学のキャンパスというのは、長い目でものを見ることのできる人間を育てる空間だったわけで、安倍さんはそこでしくじったから、大学を壊そうとしているのかもしれない。

 建前論を言うなら、大学は、そもそも産業戦士を育成するための機関ではない。
 労働力商品の単価を上げるための放牧場でもない。

「じゃあ、何のための場所なんだ?」

 と尋ねられると、しばし口ごもってしまうわけなのだが、勇気を持って私の考えを言おう。

 大学というのは、そこに通ったことを生涯思い出しながら暮らす人間が、その人生を幸福に生きて行くための方法を見つけ出すための場所だ。

 きれいごとだと言う人もいるだろう。
 が、われわれは、「夢」や「希望」や「きれいごと」のためにカネを支払っている。
 なにも、売られて行くためにワゴンに乗りにいくわけではない。

(略)

 採算は度外視して良い。
 大学は、そこに通った人間が、通ったことを懐かしむためにある場所だ。
 本人が通ったことを後悔していないのなら、その時点で採算はとれている。

大学に行く理由:日経ビジネスオンライン

小田嶋隆『大学へ行く理由』  

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<2002年4月撮影、18歳>

 

 美大なんて学費の異様に高い、就職率の低い大学に入ってしまったことを後悔はしない。なぜなら一生巡り会えないであろう友達と出会えたからである。

当時僕が住んでいたボロアパートもまだ建っていた。懐かしさでお腹が痛くなった。藤子不二雄の『ノスタル爺』の気分である。あの頃に帰りたい、とまでは思わないが、浸りたくなることもある。

 

 

 

 

藤子不二雄異色短編集〈4〉ノスタル爺 (ゴールデン・コミックス)

藤子不二雄異色短編集〈4〉ノスタル爺 (ゴールデン・コミックス)

 

 

 

 

 

 

だれにもこれからどうなるかわからないという一歩を踏み出せ!

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女の子の方がコミュニケーションが開かれているのはなぜだ?

中学生たちと3日間過ごした。
31にもなるおじさんが中学生たちと会話することなど滅多にないので貴重な機会であった。スタッフとしてもキャストとしても、いろんな中学生たちと接したわけであるが、どうもコミュニケーション能力に男女差があるように感じたのだ。なんというのか男の子は「閉じてて硬く」、女の子は「開いていて柔らかい」というような印象を持った。
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中学生たちはキラキラ輝いていた。

青春のただなかにいる人は青春のただなかだということに気づけないものだ。
迷いや後悔、夢や恋で彼らの心は埋まっている。
部活動をしている子たちばかりだった。
毎日健康的な汗をかいていた。
13才特有の汗っぽい匂いと土の香りがした。

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富士山をいだく静岡の地で彼らはどんな大人になるのだろう。

今夜は星が出るよ、神さまはクマのプーさんだって知らなかったかい? 草原では、宵の明星の光がだんだん弱まり、残照も散って、まもなく完全な夜が来て大地を祝福し、あらゆる川を黒く染め、山頂を覆いつくし、最後の岸辺を抱き寄せるだろう。だれにも、だれにも、これからどうなるのかはわからない。見捨てられたボロのように年老いていくことしかわからない。
ーージャック・ケルアックオン・ザ・ロード』より (青山南・訳)

だれにも、これからどうなるかわからない。

未来は不確定性ゆえに美しい。
こんな話を中学生にしても理解できないかもしれない。
が、君たちは人生でもっとも美しい時期にいるんだよ。彼らの人生に幸多きことを祈る。