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FilmMaker Ishikawa Shingo

「蘇りの恋」「カササギの食卓」「出発の時間」「あさごはん」などの映画監督、石川真吾のブログです。

小林でび主催の演技のワークショップに行ってきた。

演技講座:21世紀の役作りとは by 小林でび

俳優であり監督でもある小林でびさん主催の演技についてのワークショップに行ってきた。でびさんの映画は基本的には自分が出演して監督もするというスタンスだ。じつにくだらない(褒め言葉)ショートムービーから、映画ファン垂涎の展開を見せる奇作、人間の愛らしいところも阿呆なところも余すところなく描き出すでびさんの作風は、冷徹な人間観察と演技を軸にした映画鑑賞にある。つねづねでびさんの演技論を聞いてみたいと思っていたので今日は念願がかなった。そしてものすごく興味深い内容だった。小林でびは演技を以下のように整理する。

演技とはそもそも何なのか?

  1. 人が人を演じるときに必要な3つの要素
    <i>肉体      (肉体的特徴からくる所作、職業的な所作)
    <ii>キャラクター (<A>性格:もともとの性格)
             (<B>状況:最近どんな精神状態か)
    <iii>感情     (今その瞬間に感じている感情のみ)
  2. リアルな演技とは?
    ○演者にとってのリアルは「辻褄が納得できること。役者本人が没頭できる状態」
    ○観客にとってのリアルは「生々しさ。見たことある感じ」
  3. 映画は人間の一生のうちの2時間しか見せることができない
    ではどうやって人間の深みや人生を表現するのか?
    <A>従来の役作り「圧縮型」:過去のすべての要素を現在進行の演技の中で説明する
    <B> 新しい役作り「削除型」:現在進行の時間に関係ある要素以外はすべて削除。

演技というのは基本的にはイミテーションだと思う。現実を模倣するのが芸術であり芝居だと思っている。しかし「模倣型演技」は20世紀型の演技でしかないと小林でびは喝破する。メソッドアクティング=徹底的な役作りをするアクターズスタジオ発の演技方法はつまるところ模倣だ。役の一生を背負い、役の年表を書き、頭に叩き込み、役の人生を生きる。

 

だが「新しい役作り」は一生を背負わない、と言うのだ。その具体例として挙げられたのがバードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』である。

 

youtu.be

「バードマン」でのマイケル・キートンエドワード・ノートンエマ・ストーンも「キャラクター」を演じておらず、「今その場で感じた感情」を演じており、「目がからっぽ」なのだそうだ。

 

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バットマン」(1989)ティム・バートン監督版でのマイケル・キートンは「バットマン」あるいは「ブルース・ウェイン」という「キャラクター」を演じているのであり、従来型の役作り、20世紀型の演技なのだという。それが「バードマン」では全キャストが21世紀型の感情を生々しく表現するリアルな芝居に移り変わっているのだという。

 

小林でびは演技の歴史を20年ごとに分けて分類する。

  1. 40〜50年代ハリウッド黄金時代:スターの演技
  2. 60〜70年代アメリカンニューシネマ:テーマを演じる
  3. 80〜90年代エンターテインメント映画:キャラクターを演じる
  4. 00〜10年代は過去を参照しない、過去を説明しない

 映画史をこういう20年くらいにザックリ分けることは有効でわかりやすいと思う。僕も大好きなアメリカン・ニューシネマと現在の映画の違いがただの画面のルックだったり時代背景だったりの違いだけでは説明がつかなくてずっと疑問だったのだけど、今日はその疑問が晴れた気がする。つまり、アメリカン・ニューシネマの時期は「人間とはなんぞや?」という哲学的探求が作品にも俳優たちにもあった。現代の観客が映画に求めるのは遊園地のような「エンタメ」であり「リアル」であり「ライブ」である。観客のニーズに合わせて演技の質が変化してきたのだ。フィクションからドキュメンタリータッチを経て、演技の質はシンプルに、感情以外のものを削ぎ落としてダイレクトに観客に響くものに変化していったのだ。これが21世紀型の演技である。

 

翻って、日本ではどうかというと、成功例は「凶悪」や「野火」くらいであるという。

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両作ともリリー・フランキーが出演している。彼はプロの俳優ではない。ピエール瀧塚本晋也も出演作は限りなくあるがプロの俳優ではない。こういった役作りができない「シロウト役者」の演技が最も輝いているのだと小林でびは言う。納得が行く。「凶悪」も「野火」も紛れもない傑作なのだがそれはキャラクター化していない(類型化していない)演技が横溢しているからなのだ。日本映画の興行収入ランキングを見てみれば、アニメ、漫画、小説の映画化がいかにランキングを占めているかよく分かるはずだ。

eiga.com

つまり現代の日本映画界で求められるのは漫画のキャラを忠実に、原作から外れないように演じられるキャラクター演技だということだ。監督も衣装もメイクも脚本も例外ではない。日本はキャラクタービジネスの国なのだ。キャラクター演技の限界をシロウト役者が突破するというのはなるほど得心がいく。日本の「キャラ漬け」現象にはいささか僕はうんざりしている。映画業界はキャラクタービジネスの成功体験から離れられず、新しい映画への投資を怠っているのだ。僕も感情だけをむき出しにした映画を撮ってみたいものだ。そこでインディペンデントでやるしかない僕に有効なのはロベール・ブレッソンの方法論でなかろうか?職業俳優を徹底して嫌い、素人だけをキャスティングして映画を作り続けた孤高の作家だ。なんせ、「大工の役」をさがすときブレッソンは「本物の大工さん」だけをオーディションするというのだから!

シネマトグラフ覚書―映画監督のノート

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