FilmMaker Ishikawa Shingo

「Hairs」「Food 2.0」「スティグマ-STIGMA-」「裸で汁を出すだけの簡単なお仕事です。」「ラジオスターの奇跡」「蘇りの恋」「カササギの食卓」「出発の時間」などの映画監督、石川真吾のブログです。

今日は愛は揺れるものを科学する。

「好き」というのは感情である。感情は永遠ではない。

感情というのは日々揺れ動くものである。例えばある人を「好き」になって一緒に住みだしたがある日突然「嫌い」になったとする。こういうことはよくある。洗濯物を片付けないだけで、トイレ掃除を怠っただけで、男女は嫌いあうことがある。感情というものの正体を考えれば、特に不思議なことではない。感情は揺れるものだからだ。

《photo by PHOTOGRAPHER HAL》


「ずーっとずーっと好き」という発言は感情というより、むしろ「計算」なのではないかと思う。現在の感情ではなく未来の感情まで約束しているからだ。「ずっと相手のことが好きである」という宣言は、相手の未来を支配し、自分の感情を殺す言葉である。愛し合う二人はつねに好き同士であり、「いままでもこれからも愛し合っている」というのは、美しい。が、それは一種の狂気を孕んでいる。平均余命が88歳のいま、長すぎる人生を共にい続けるというのは、過酷すぎる恋愛だと思う。相手のことを24時間考えることはできない。自分が消えてしまう。相手のことを思いやるために相手のことを考えるのは1日3時間くらいにしたほうがいい。自分を大事にすることも恋愛においては大事だと思うのである。

女性は恋愛に見返りを求めすぎではないか?

生活保証、未来への安全、一家団欒……。そういう「幸福」への未来志向なイメージは、僕は愛の名に値しないと思うのだ。”それは純粋な恋愛ではない。ただの生活だ。”とでも言いたくなる。女性の読者がサーっと引く音が聞こえる。この言説が女性から嫌われることは僕だって百も承知なのである。「ただヤりたいだけなんでしょ」とつっこまれるのもやむなしである。

しかし僕が思うに、恋と性欲はひじょうに似ている。というか、男においては恋と性欲は区別できないものなのではないかとすら思うのだ。逆に言うと、恋愛の先に結婚と出産を見据えるのは、愛と生活保障をごちゃまぜにしているような気がするのだ。

「女にとって男とは、愛をひっかけるための釘ぐらいの価値しか持ってない」

アンドレ・ジッド

愛は合理的な計算にそぐわない

経済学では、合理的な人間は「効率」という基準で、1日24時間・金を仕事・恋・遊びに割り振っていると考える。経済学では、男性の場合、費用(女性とのデートに振り向ける時間・金)と便益(女性との恋愛から得られる満足)を比較して、便益が費用よりも大きいときに、その恋は「効率」的であると表現する。これが経済学の基本的な思考である。

経済学者のロバート・フランクは、愛が合理的な計算にそぐわない側面があると指摘している。フランクは、哲学者のブレーズ・パスカルの言葉を引用し「費用・便益を合理的に計算する人間には、人を愛することはできない」と指摘している。

だんだん愛とはなんなのかわからなくなってきた

愛をことばでとらえるのは難しい。なぜなら愛はこころだからだ。こころが感じ、身体が反応する。決して頭だけでとらえられるものではない。生物学の知見では愛はどういう定義になるのだろう。愛は遺伝子を運ぶ乗り物を潤滑化するための幻想だ、というような定義になるのだろうか。

<生命の基本仕様>それは女である

地球が誕生したのが46億年前。そこから最初の生命が発生するまでにおよそ10億年が経過した。そして生命が現れてからさらに10億年、この間、生物の性は単一で、すべてがメスだった。<生命の基本仕様>ーーそれは女である。本来、すべての生物はまずメスとして発生する。メスは太くて強い縦糸であり、オスは、そのメスの系譜を時々橋渡しし、細い横糸の役割を果たす"橋渡し"に過ぎないーー。

(福岡伸一『できそこないの男たち』)

あーあ、男ってしょうもねえ生き物だなあ。

できそこないの男たち (光文社新書)

できそこないの男たち (光文社新書)

話は変わるけど、愛と恋の違いについて書く

恋は盲目、恋は病気、恋は底ぢから、愛は義務、愛は悲しくて美しい、愛は無償、愛は死よりも冷たい。

婚姻は共同体との契約、結婚は人生の墓場、子はかすがい、共同体の再生産のためには子は宝。

 厚生労働省が5日発表した2014年の人口動態統計によると、1人の女性が生涯に何人の子どもを産むのかを推計した合計特殊出生率は1.42となり、9年ぶりに低下した。05年の1.26を底に緩やかに上昇していたが、前年を0.01ポイント下回った。女性が第1子を産む平均年齢は30.6歳となり、晩婚・晩産が一段と進んだ。出生数は100万人割れ目前で、人口減少と少子化への対策が急務であることが改めて浮き彫りになった。
ーー日本経済新聞2015.6.5
http://mw.nikkei.com/tb/#!/article/DGXLASFS05H68_V00C15A6000000/

まず女性が子を生む平均年齢が30.6歳というのに驚いた。晩婚化が進んでいるとは聞いていたが30歳をオーバーしていたとは……。


これは「マズロー欲求段階説」と呼ばれる、人間の欲求をヒエラルキー化したものである。低次の欲求が満たされるに従ってより高次の欲求に移行していくものとられる。「愛と所属の欲求」よりも「認められることへの」欲求の方が高く、最も高位なのは「自己実現の欲求」である。愛が満たされれば自己実現を人間は求めるものらしい。

んじゃあ、愛っていったいなんやねん。よく分からなくなってきたところでまたしても中島らもの素敵な文章に巡り合ったので丸々引用して今日の記事は終わりとする。これほどに見事な文章のあとに書くぼくの言葉はない。

出会いと別れについて

 山岸凉子さんの漫画だったと思う。タイトルは忘れた。海沿いの閑居にひっそりと暮らしている美しい未亡人がいて、たまたまそこを訪れた若い主人公に、”あなたのような美しい人が、どうしてこんな人里離れたところに引き蘢って暮らしているのか”とたずねられる。その人が微笑んで答えるのに、
「人と出会いますと、それだけ哀しみが増しますから……」
 この言葉が心に残っているのは、そのとき僕が苦しい恋をしていたからだと思う。恋愛は人を高みへと押し上げるが、その高さはそこからすべてのものが見下ろせてしまうような冷酷な高さである。この世のものならぬ至福の中に自分があればあるほど、いつかそのめまいに似た幸福に終わりがくるであろう予感も確固たるものになってくる。始まらなければ終わることもないが、恋愛という音楽が鳴り始めてしまった以上、そこには必ず終わりがくる。永遠にそれが響き続けることはない。
 きたるべきその終楽章(カデンツァ)は、ふたつの和音のうちのどちらかひとつの形態を必ずひとつ選ぶ。つまり、「生き別れ」か「死に別れ」である。このことは、時代が変わり、人が変わるたびにさまざまな表現でいいあらわされるけれど、本質はすべて同じことである。「生者必滅、会者定離」「会うは別れの始めなり」「君よ盃受けとくれ、どうぞなみなみつがせておくれ、花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生」なのだ。
 一人の現実の人間に出会って、しかもその人と恋におちることは、考えてみれば奇跡のようなことである。万物が流転して刻一刻と相を変えていく。その金や銀やの無数の糸が絡み合い風に揺れていくうねりの中で、ほんの一瞬の偶然でそこに現出したのが彼女の姿であり、次の瞬間にはもうその姿はない。その一瞬の奇跡と、同じく偶然の幻影にすぎない自分とが出会って愛し合うのである。それは安定した永劫の「無」の中にあってはほんの一瞬の、おそらくは何かの手ちがいによって引き起こされた「有」の出現であろう。いわば、「不可能」と「不可能」との希有な出会いが恋というものなのだ。
 その光芒が激しければ激しいほど、待ち受ける闇は深いものになる。一度でもその闇の深さを垣間見た者は、もう一度それを見ることを峻拒するにちがいない。だから生涯で2番目の恋に心ならずもおちいってしまっていた僕にはこの山岸凉子さんの漫画の中のセリフがもろに奥まではいってしまったのだろう。「人に会えば哀しみが増しますから」というのはよくわかる。それを避けるためにあえて孤独のほうを選ぶのは、むしろ血の熱い人間こそが選ぶ生き方だとも思う。
 僕は今、三十六歳になるが、恋愛に限らずとも、人との新しい出会いはなるべく避けたい。そんな気持ちが徐々に濃くなっていきつつある。年若いうちは、対人恐怖症気味であったにもかかわらず、それを乗り越えてでも新しい出会いを求める気持ちが強かった。しかし、現実に何人もの近しい人を病気や事故や自殺で失っていくと、「出会い」に対してポジティブな感情を持つことができにくくなってくる。「会うは別れの始めなり」ということが、ものの道理としてではなく、自分の感情や痛みの感覚においてわかってくるからだ。
 「失う側」としての痛覚がわかってくると、今度は逆に「失われる側」としての自分の存在についても考え始める。その結果、”生きているうちに、余人から愛されるような存在であってはいけない”のではないか、と妙なことを最近考えてしまう。たとえば僕が死んだときに、残された者の側が、
「ああ。あの人はいつもあんなにニコニコしてうれしそうにお酒を飲んでいた。あのとき、止めたりせずにもっと飲ませてあげればよかった」
 などということがあると、その人はいたたまれないにちがいない。だからできるだけつまらなそうに生きて、「ほんとにあの人は何が楽しみで生きてきたんでしょうね」とお通夜が悪口で盛り上がるような、そういうイヤなおっさんになりたいものである。

——『愛をひっかけるための釘』中島らも

愛をひっかけるための釘 (集英社文庫)

愛をひっかけるための釘 (集英社文庫)

潔癖性のMちゃん

学生時代の同級生にMちゃんという娘がいた。いつも溌剌としていたが、どこか人を遠ざけることのある娘だった。大学三年生の後半にドキュメンタリーの授業があって、彼女もその授業を受けていた。その授業は課題としてドキュメンタリーを撮ってこい、というものだった。Mちゃんの作った作品は凄まじいものだった。Mちゃんは極度の潔癖性だったのである。Mちゃんが電車のつり革に触れてしまい不潔だと泣き叫ぶ様子、何時間も手を洗う様子、不潔恐怖症が高じて親とも兄弟ともケンカし、とうとう不登校になる……。そういった生い立ちを、自らにカメラを向け告白するという、セルフドキュメンタリーなのであった。もう11年も前のことだが、手法も内容も強く印象に残っている。

不潔恐怖症も、強迫神経症の典型的な病型の一つです。風呂に入ると、まず蛇口が汚れているといって蛇口を洗い始める。洗っているうちに、飛沫がこっちに飛んだのでそこも不潔になってしまったので洗わなければ……となる。それが際限なく行われる。こうやって、一度入浴したら五、六時間は出て来られないことになってしまう。そんなわけで、入浴自体が大変な作業と化し、めったに入浴出来なくなってしまう。結果として、不潔恐怖なのに不潔になってしまうのです。
ーー泉谷閑示『「普通がいい」という病』より


influenza virus. Taken from http://influenza.blog.hu

バイキンだらけの世界で彼女の手は荒れてゆく

Mちゃんの目には世界がバイキンだらけに見えていたのだろう。中学生のときに発症した潔癖性のために外に出れなくなり、ついには高校も行けなくなる。外の「バイキン」を身につけて帰ってくる家族に怒鳴り散らし、徹底的な手洗いを求め、コントロールできない自分の感情を呪う。自分の身体や手にもバイキンがいっぱいいて、綺麗にしなきゃと思えば思うほど、消毒液や石鹸で手は荒れてゆく。

彼らに特徴的なのは、一見論理的であることです。スーパー論理的と言ってよいほど徹底的に論理的推論が、こだわりの部分に駆使されます。万が一にしか起こらないような危険性についても、「まあいいや」とか「なるようになるさ」と考えることが出来ません。硬直化した論理の究極の姿です。
外科医は、手術前に厳しい手洗いマニュアルに基づいて、手洗い消毒を行います。これは、感染防止のための合理的な方法なのですが、これと不潔恐怖症の人の手洗いは、本質において同じです。しかし、私たちが普段の生活をしていく上で、そこまで手洗いをしないと病気になったりするでしょうか。もちろん、そんなことはありません、なぜなら、われわれにはある程度の抵抗力が備わっているからです。しかしそのことは、強迫神経症の人の計算にはまったく入っていません。
このように考えると、強迫神経症の人は「精神の抵抗力」が落ちている状態にあるとも言えるでしょう。(前掲書)

精神の抵抗力が落ちているとは、実に言い得て妙だなと思った。ネガティヴな状態にあると、とことん思考がネガティヴになる。ニーチェは哲学的思案を徹底したが故に発狂した。ある程度適当に生きたほうがよい。これを高田純次イズムという(笑)

きれいは汚い、汚いはきれい

衛生とは希釈である。無菌状態で育った子は弱い。人体に害をなす菌をどれだけ無くせるか、ではないのだ。どれだけ「薄めること」ができるかが衛生というものなのである。日本人の美徳はきれい好きというところだが、きれい好きすぎるのもよろしくない。きれいは汚い、汚いはきれい。

Mちゃんにはもう10年も会ってないけど、元気だろうか。再会したら、握手をしたい。握手ができるくらいに回復しているといいのだが。

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

霊長類はビタミンCを合成できなくなったかわりに色彩を手に入れた

ビタミンCは人間が生きる上でなくてはならない栄養素である。我々は食べ物からビタミンCを摂取する必要がある。実は、哺乳類のなかでビタミンCを体内で合成できないのはヒトだけである。それはなぜか?そしてその代わりに人類が得た美しい能力とは何か?というお話です。


ポール・ゴーギャン『果物を持つ女』1893

 六五〇〇〇年以上も前から、我々ヒトやサルなどの霊長類は、主に熱帯地方で樹上生活を送ってきた。熱帯地方の樹上で豊富な食べ物は木に生る果物である。果樹にとっても、実を食べて種を排泄し、広くばら撒いてくれる動物は、自分たちの繁栄のために都合がいい。そこで果樹は、動物に食べてもらいやすい果肉に、消化されない硬い殻を持った種を隠して、果実を付けるようになったのだ。こうして果樹と霊長類は、互いに恩恵を与え合いながら双方が繁栄するという「共進化」の関係を結んだ。
 そうするうちに多くの霊長類は、緑のなかから熟れた果実を見分けるために、色覚が発達したと言われている。霊長類以外の哺乳類は、色の見分けがつかない”色覚異常”なのだ。
 そしてこれと引き換えに、哺乳類のなかでもヒトを含むある種の霊長類だけが別の能力を失った。豊富なビタミンCを含む果実を食べ続けるうちに、我々はどこかの時点で、ビタミンCを体内で合成するための最終酵素を作る遺伝子を欠いてしまったのだ。つまりビタミンCを体内で合成することができなくなった。ビタミンCは我々が生きるうえでなくてはならない栄養素なので、我々は今も食べ物からビタミンCを摂り続けなくてはならないのだ。
ーー鶴見済『脱資本主義宣言』より「霊長類とビタミンC」から引用

脱資本主義宣言―グローバル経済が蝕む暮らし

脱資本主義宣言―グローバル経済が蝕む暮らし

この一文を読んだときは非常に感銘を受けたものである。「色覚」は食料確保のために生まれた感覚だったのだ。バナナの黄色、オレンジの橙色、リンゴの赤、ブドウの紫……。フルーツは色彩が非常に豊かだが、まさかフルーツが人間の色覚を作り出した原因だったとは考えもしなかった。

動物は色覚異常

犬はモノクロでしか見えてないが鋭い嗅覚で補っている、というような俗説を聞いたことがある。各動物でも色の認識には差があるようなので調べてみた。

実は、人間の目に映る景色と動物の目に映る景色は違います。
目の果たす役割が違うのです。

色彩感覚(色覚)については、太陽光をプリズムを通して分解すると波長の長い順に「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」と、虹の七色で表現されます。

色の識別としては、人間などの大型の類人猿は3原色(赤・緑・青)、犬などの大部分の哺乳類は2原色(赤・青)、鳥や昆虫は4原色(赤・緑・青・透明(紫外線))を見分けることが可能です。

それぞれの動物や生物の色の見え方については、次の通りとなります。

【牛、馬】
 モノクロに近い見え方です。馬は黄色を最も識別できて次に緑となりますが、
 青と赤は識別できないこともあるようです。

【猿】
 ニホンザル、チンパンジー、ゴリラは、ほとんど人間と同じで高度な色覚があります。
 色に関しては、種族によって見え方に違いがあるそうでオスに色弱色盲が多くみられるようです。

【犬、猫】
 嗅覚や聴覚が優れているため、強い視力を持っておらず、
 特に猫は弱視で色を識別することは難しい
ようです。
 また、基本は赤・青の識別ですが、黄色と青を識別できる犬もいるようです。

【魚】
 金魚、めだか、鯉は、特に識別に優れていて、鯉は人と同じ錐体(色を感じる機能)を持っています。

【鳥】
 人に見えない紫外線も見ることができます。
 種類によって見え方が違いますが、色彩のきれいな雄を持つ鳥類も
 雌が色の識別ができるからといわれています。
 鳥の中でも、ハトは20色を識別でき、あらゆる動物の中で識別能力に
 優れているそうです。

【昆虫】
 ほとんどの昆虫は複眼を持ち、30000ものレンズがついています。
 これにより識別に優れ、人に見えない紫外線も見ることができます。
 しかし赤外線に近い色は識別はできません。
 夜、紫外線を発した電燈へ昆虫等が集まるのは、このためなのです。

人間と動物では、色の見え方が違うのでしょうか? | 快適視生活応援団

鯉は人と同じ錐体を持っている(なぜ?)とか、鳥は紫外線も見ることができる、とか面白すぎる。だけど、鳥の脳は小さい。人間は脳でものを見ていると言う。多様な色を知覚できても、脳で画像処理を施さねば映像として認識できない。世界をカラフルに認識できるのは人間だけに許された特権なのかもしれない。

何かを得るには何かを失わなければならない

ひょっとしたら、ビタミンCの合成能力の欠如が人間の創作活動の原点にあるのかもしれない、と考えてみた。画家は多彩な絵の具をつかって世界の色彩を再現する。人類最古の絵と呼ばれているラスコーの洞窟画にも、「色」は使われていた。もし、ビタミンCを体内合成できる哺乳類としてヒトが進化を続けていたとしたら、現在よりよっぽど寂しい文化になっていただろう。色彩は人類に与えられた恩寵である。

ビタミンCの正体はアスコルビン酸

ビタミンCは不足すると壊血病になる。壊血病は船乗りがかかる病気だと言われてきたが、日本人は生魚を食べるのでビタミン不足にはなりにくかった、とかそんな話を聞いたことがある。鶴見氏の著書にも書かれているが、ビタミンCは新鮮さの証のような栄養素であるらしい。すでに化学合成が出来るようになっており、アスコルビン酸という名でいろんな食料や飲料に添加されている。「新鮮さ」を添加できる技術というのもある意味恐ろしい。

人間は先天的に緑色に美しさを感じるようにできているのではないか

人間は農耕をし、都市をつくって森から離れた。だが、これからも森は美と畏怖の対象であり続けるだろう。日本人は豊かな自然で感性を育んできた国民だ。東京にも美しい山々はある。人類の祖先が身につけた美しい能力、色彩を楽しんでいきたいなというお話でした。


ゴッホ『ジャガイモを食べる人々』1885











 

やっぱりプロが好き。iPad Pro発表

Appleの新製品が発表された。

注目はiPad Proだろう。

http://www.apple.com/jp/ipad-pro/
Proの名を冠したのは、ホビーだけでなく仕事にも使ってくれというAppleの宣言である。Mac以外でProの名が与えられた初めてのiOS製品だ。iOS機器の弱点であった、音の貧弱さもカバーしてきた。モノラルスピーカーから4スピーカー搭載になった。Apple Pencilという名のスタイラスも登場した。絵描きやデザインのプロは飛びつくだろう。


Apple Pencil - Official Trailer (iPad Pro, HD) - YouTube


ぼくもiPad mini3でタッチペンを使って絵を描いたりするので、この魅惑的なペンさばきの出来るApple Pencilは大注目だ。Apple Pencil はiPad Pro専用だという。タッチスクリーンの感度を2倍に高めたとか動画では言っていた。ハードウェア的にもソフトウェア的にもグレードを上げてスタイラスに対応させたのだろう。上記の動画では、ユーザが手の腹を画面につけながら描いているように見える。画面サイズが12.9インチもあれば手のどこかが画面に触れて誤作動することは容易に想像できる。7.9インチのiPad mini でも手の裏当たる問題はある。Penulitmateなんかはソフトウェアで右手のひらの入力をミュートという解決をしているが、そこまで書き心地がよいものではない。

価格もプロ価格

Wi-Fi 32GB 799$ 約97,000円?
Wi-Fi 128GB 949$ 約115,000円?
Wi-Fi + Cellular 1079$ 約13万円?
Apple Pencil 99$ 約12,000円?

うーん、ペン付けたら10万円オーバーである。高い。けれどデジタイザ+液晶タブレットとして考えたら安いのかもしれない。プロなら安いのかもしれない。

業界標準ワコムのこれは116,640円。コンピューターは別に用意する必要あり。iPad Proは4K動画を3つ同時に再生できるパワーがあるらしい。


ほかの製品は順調なアップデートという印象である。

  • 4K動画が撮れて3DTouchに対応するiPhone6S
  • タッチ&Siri対応リモコン、AppStore内蔵の新型Apple TV
  • Apple Watchにエルメスのバックル
  • Watch OS 2.0

iPhoneで4K動画が撮れるようになったのは凄いっちゃあ凄いけど、携帯電話くらいのサイズで4K動画を鑑賞してもさして本質的な感動はないだろうと思う。ただ、Live Photosという機能は面白そうだと思った。シャッターを押した前後が動画として音とともに記録されるというものなのだが、「動画」機能ではないのだ。あくまで「静止画」を撮る感覚で3秒程度の動画も記録されるというちょっとひねくれたアプローチなのである。シャッターを押す「前」のフレームも記録されているというのがいい。それはきっと無意識の瞬間だろうから。面白いものが撮れそうだ。短尺だからSNSへのシェアも楽だろう。

ポリアモリー/複数同時恋愛について考えてみた

インターネットで調べ物をしていたらこんな記事に出会った。
同時に複数と性愛関係…『ポリアモリー』広がる新しい愛のカタチ - NAVER まとめ

恋愛や結婚は1対1で行われるべきという、我々の価値観に深くインストールされた常識に反し、複数の異性と同時に恋愛関係を楽しむという概念が「ポリアモリー(polyamory)」である。不倫や浮気とは異なり、自分の交際状況をオープンにして合意を得た上で複数人と愛を構築するのだという。既婚者のポリアモリーもおり、アメリカでは約50万人のポリアモリーがいて増加傾向にあるのだとか。

「ポリアモリー」とはギリシア語の「複数」(poly)とラテン語の「愛」(amor)に由来し、アメリカで造られた造語である。1990年代初頭から「責任あるノンモノガミー(非一夫一婦制)」に代わる語として用いられるようになったとのことである。

この記事を読んで、これは一夫一婦制(モノガミー)への異議申し立てなんだろうな、と思った。ちょっと前に不倫SNS「アシュレイ・マディソン」がハッキングされたという記事を読んで、サクラばっかりだとしても「不倫には世界的なニーズがあるのだ」ということを強く感じたからだ。

アシュレイ・マディソンは、いわば既婚者の出会いサイトである。サイト上では「人生は短い。浮気をしよう」という文句と共に、結婚指輪をした女性が口元に人差し指をあてて、秘密のできごとへ誘う写真が掲載されている。

 ユーザーは登録後、ここでチャットなどを交わしながら相手を見定め、浮気の目的を達成するというしくみだ。サービスは、男性には有料、女性は無料だ。
(略)

不用意に職場のメールアドレスをそのまま使ったため、どこに務める人間かもわかってしまったケースも多々ある。本人が職場で気まずい思いをするのはもちろんのこと、成人が個人としてやっていることとは言え、企業としてもみっともないことになる。たとえば、スポーツ専門ケーブルテレビ局のESPNでは、100人以上の同社員が登録していたと伝えられている。

 もっとまずいのは、軍や政府関係機関である。分かっているだけで、陸軍関係者が6700人、海軍は1600人、またバージニア州政府関係者が104人、国土安全保障省のお役人も45人いたという。

 特に、米軍の軍事司法統一法典では姦通が犯罪と見なされることもあり、現在調査が進められているという。それ以外にも、大学教授、教員、ジャーナリスト、弁護士、イギリスの議員なども、明らかにされた登録ユーザーとして挙げられている。

 また、この情報漏洩が原因で少なくとも2件の自殺があったと伝えられ、トロントの警察が調査中らしい。その1人は、テキサス州の警察署長だ。

アシュレイ・マディソン不倫情報流出で晒された人々の様々な「昼の顔」 (ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース

正直に告白すると、僕もかつて結婚をしていたときに、不倫を夢見たことがあった。2年くらい前だったか、アシュレイ・マディソンの広告をインターネット上で見つけ、ちょっと心が動きかけたのだった。ストレスの多い結婚生活をしていた僕には「人生は短い。浮気をしよう」というキャッチコピーは魅惑的だった。貧乏だったのが幸いして(?)、登録はしなかったが、この話題に共感してくれた妻帯者の友人は、2人ほどいた。

これは多くの科学者も発表しているが、そもそも一夫一婦制というのは、人間の本質ではないのではないか。(略)結婚している人たちの中には、その状態にハッピーではなく、婚姻生活にとらわれていると感じている人たちも少なからずいる。(略)
これまでの経験、データからハッキリわかってきたのは、本質的にはカナダだろうが、アルゼンチンだろうが本質的には男女は同じということ。どの国においても、不倫に走るトップ2の理由は、パートナーとの感情的つながりの不足と、ラブライフ、端的に言えばセックスが充実していないことだ。

【アシュレイ・マディソン 国際事業ディレクター クリストフ・クレイマー】
「不倫ビジネス」が成功?世界最大サイトの謎 | インターネット | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

一夫多妻制(ポリガミーpolygamy)はヒト以外の動物にも確認されている。チンパンジー、ゴリラ、ゾウアザラシ、アシカなどである。そういえば、カマキリのオスは生殖を終えるとメスに食われ、サケのオスは生殖後に死んで川を流れる。人間のオスも生殖の後「不要」になるから暇を持て余して戦争をしたり宗教をつくったり国家をつくったりするのかもしれない。

一夫多妻制といえばイスラーム圏が有名であるが近代化に伴って減少傾向にあるようだ。日本にも側室制度があったが跡取りを産む目的であって、しかも上流階級に限る。モルモン教原理主義者は未だに一夫多妻制を続けているらしい。

結婚は制度で契約でしかない。不倫は文化かもしれないがリスクが高い。複数人と性愛を楽しむことを正当化するために登場したのがポリアモリーなのだろう。重要なのは「新しい愛の形」と公言していることだろうと思う。結婚というのは愛を保証するものではない。家庭では「汚いもの」を管理しなければならない。子供のおむつ、汚れた旦那のパンツ、便器に飛び散った小便、妻の使用済み生理用品、生ゴミ……。結婚をテーマにしたデヴィット・フィンチャー監督の傑作映画『ゴーン・ガール』を観て、僕が得た教訓は「夫婦というのは互いに演じ合わなければいけない」というものだった。最も殺人が行われる場所はどこか?家庭である。

だが、ポリアモリーは日本では普及しないだろう。日本人ポリアモニストのブログやtwitterをいくつか拝見したが、世間と戦っている苦悩が見て取れた。ポリアモリーは大都会に住み、かつ高所得でマネジメント能力の高い人でないとできないだろう。決して快楽主義者というわけではない。恋愛について真剣に考え、新しい愛の形を模索する良識ある人々だ。愛に順位もつけないし嫉妬も嘘もなし、というのは求道的な精神だ。感動すら覚える。しかしポリアモニストはLGBTよりも性的にはマイノリティに位置付けられるだろうし、パートナー探しも苦労するに違いない。日本は結婚も恋愛もただ一人とするものという「常識」の価値観が強い。異物は「世間」の力で排除される。

でも僕はポリアモリーの価値観に惹かれているのだ。
しかし、

嫉妬心のない女性などいないし、順位をつけない男性もいない。

僕の狭小な価値観ではこんな結論だ。それに単数異性愛者であるほうがパートナーと出会える可能性が高い。と信じている。ああ、再婚したい。

ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

親の話と低糖質ダイエットには千に一つも無駄がない

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低糖質ダイエットで10Kg落とした!

短時間で努力なしでほぼ確実に痩せられる驚異のダイエット方が、「糖質制限」である。糖質(=炭水化物と砂糖類)を食べない、というシンプル極まりない方法だ。

僕はゆるい糖質制限をして、7週間で10Kg体重が減った。

きっかけは、友人のプロデューサーである内藤くんが、ご飯やパンなど主食をあまり食べないようにしている、という健康法を聞いたからである。お腹ぽっこりな肥満体型で悩んでいた僕はその糖質制限ダイエットに興味を持って、さっそくはじめてみた。僕の場合、「菓子類」をまず食べれなくなるというのが効いた。菓子には砂糖=糖質がたいてい入っているからだ。コンビニエンスストアで食べれるものが1/3に減った。

参考にした文献は3つ

メカニズムや原理は以下↓のサイト「ゆうスキンクリニック」でまず学んだ。笑えるよ。

【マンガ】で分かる糖質制限ダイエット 誰でも細マッチョin池袋皮膚科 | 池袋 皮膚科/ゆうスキンクリニック池袋駅0分(皮膚科・美容皮膚科)

もうちょい詳しいことを知りたくて買ったのがコレ↓。女性向けの漫画だが分かりやすくて面白かった。

マンガ『炭水化物が人類を滅ぼす』 最終ダイエット「糖質制限」が女性を救う!

マンガ『炭水化物が人類を滅ぼす』 最終ダイエット「糖質制限」が女性を救う!


上記↑の漫画にも出てくる夏井先生の本がコレ↓。「炭水化物が人類を滅ぼす」(!)おっかないタイトルである。

この本はめちゃくちゃ面白かった。おじさんのダイエット奮闘記から始まり、そもそも人類の歴史にとって糖質とは何なのか、を生命の発達そのものから読み解くという壮大な書であった。

「甘み」は人間を虜にした

 最初の栽培者は「コムギの甘さ」に驚き、それをもっと味わいたくて栽培を始めた、というのが私の考えたシナリオだ。
 私たちは、身近に砂糖や甘い果実があるので甘さに慣れっこになっているが、当時の肥沃な三日月地帯の植生から考えると、彼らが甘いものを口にする機会はほとんどない。
 そういうなかで、コムギの麦芽は例外的に「甘い食物」であり、最初の栽培者は、おそらく生まれて初めて口にする「甘さ」に驚愕したはずだ。穀物は、発芽すると自然に甘くなる性質を持っているからだ。
(略)
 やがて「食べる快楽」という、それまでになかった楽しみが生まれてくる。

太る原因というのはつまり、「食べる快楽」が過剰になっているからだ。

三大栄養素のバランスを崩す

三大栄養素と聞いてあなたは即答できるだろうか。

  1. たんぱく質 (Protein)
  2. 脂質 (Fat)
  3. 炭水化物 (Carbohydrate)

この3つである。PFCバランスと呼ぶ。日本人の食生活は炭水化物が約7割も占める。

三大栄養素は、私たちの体内で1gあたり、たんぱく質が4kcal、脂質が9kcal、炭水化物が4kcalのエネルギーに変わるといわれています。
PFCバランスとは | 栄養成分ナビ
「日本人の食事摂取基準(2010年版)」または「日本人の食事摂取基準(2005年版)」の30歳以上の目標量を参考に、P:9~20%、F:20~25%、C:50~70%を大まかな目安としました。

糖質制限は3大栄養素のうち2種類だけで生命維持をしようという試みなのである。食についてのパラダイム・シフトを起こさなければとうてい続けられるものではない。よくある誤解は「脳はブドウ糖しかエネルギーにできない」というものである。実は、糖質のかわりに筋肉や脂肪などで代謝が起こって、ケトン体と呼ばれる物質が生まれる。脳はこのケトン体もエネルギーにできるのだ。体がこのケトン体体質になるのに3週間はかかるという。その間も体重は減る一方である。
糖質制限をはじめて嬉しい副作用が、食後の眠気がなくなるということである。そもそも食後の眠気は、血糖値を上げるブドウ糖グルコース)を分解するためにインスリンが出て、血糖値が下がる。眠気は血糖値の乱高下が引き起こすのである。たんぱく質や脂質だけの食事では、食後には眠気がほぼ来ない。ブドウ糖不足で頭がさえないというよりは食後の眠気がなくなるほうがよっぽど頭の冴えがよくなるというものだ。

糖質制限食は金がかかる!低コストを目指し行き着いたメニューは

  • 豆腐
  • トマト
  • 肉 or 魚
  • 玄米スープ

である。調理に時間がかからない上にローコスト。豆腐は醤油とゴマ油で食い、トマトは丸かじり、肉か魚かは日替わりで変え、素焼きして塩コショウで食べる。飲む酒は焼酎かウイスキーなどの蒸留酒。おつまみは野菜。糖質制限をはじめてしばらくして、足がつるようになった。原因を調べたら、カリウム不足が原因のようだった。カリウムなどの入ったマルチミネラルサプリメントを買っていたが、高いのでやめた。替りに「玄米スープ」を毎日飲むようにした。
ビタミンとミネラルなど不足しがちな栄養素は「玄米スープ」で補う。長崎の田中補聴研究所の田中英雄さんに教えていただいた「玄米スープ」は、究極の完全栄養ドリンクだ。40種類ほどの栄養素が入っているらしい。2日酔いもしなくなるし便通も良くなる。味は玄米茶である。「玄米スープ」を毎日コップ1杯飲むようにしたら難聴の子の聴力が回復したという話も聞いた。「玄米スープ」の作り方を解説した映像はいま準備中。近日公開します。